学生たちと読む古典、今週のテーマは、元雑劇の代表作「趙氏孤児」である。七百年以上も前の作品だが、それよりさらに二千年もまえの歴史文献に構想を求め、それを基にだれでも楽しめる舞台劇に仕上げられたものだ。今日になって文字でしか読めないが、その物語の中心的な展開に絵巻がクローズアップされたことに、少なからずの驚きを覚えて。
劇の主人公は、我が子を犠牲にして、冤罪に消された趙家族のただ一人の子供を救い、育てる。そこで物語の終盤に入り、劇の第四駒(折)において、大人になった孤児にかれの生まれの真実を伝えるために、主人公は絵巻を用いた。もろもろの出来事の様子を絵に描き起こし、それを孤児一人で読むような時間を慎重に用意し、さらに聞かれることに答える形で描かれた内容を語り聞かせる。いわば真実を訴えるには、絵が最大の、疑いようのない道具に使われたものである。はたして孤児が復讐に燃え、そして悪人を捕まえ、処刑するという物語の結末に至る。
虚構の物語のプロットに登場した絵巻、したがって実際には存在しなかったはずだ。日本の王朝文学においても、似たような虚構の絵巻が多く存在していた。それが虚構でありながらも、あるいはそれだからこそ、人々の絵巻に向ける視線をよく映し出していると言えよう。(写真は、2012年に制作された同名の映画からのいち場面。物語に登場した絵巻のイメージを妙に生き生きと伝えている。)
メモ:
ブログ「絵巻三昧」を開設して、今月で十年の歳月が流れた。週一篇と淡々と書き続けてきて、今週の記事は564と数え、読み返せば貴重な記憶や記録がじつに多い。国際交流基金フェローとして立教大学に滞在する間、ブログの仕組みを調べ、タイトルに使う絵を作るなど、試行錯誤しながら違う性格の作業に打ち込んだのは、昨日のことのようだ。このブログのおかげで、多くの友人知人との出会いに恵まれ、さまざまな交流が出来た。心よりありがたく思っている。
2017年10月28日土曜日
虚構の絵巻
Labels: 画面を眺める
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