カナダのお正月は、クリスマスから続く長い休みの終わりに来る。休日の中、バレー追加公演のチケットをほぼ前日に購入して、この町の一番大きい音楽ホールに入った。演目は、あの「くるみ割り人形」。舞台上も、綺麗に着飾った観客も、そして街を包む雪まで、すべて幻想的なものだった。
ストーリーの中で、悪者の集団というのは鼠の群れである。それがしっかりと見応えのあるハイライトとなった。子どもたちが扮する小さな鼠たちは、ステージの転換とともに大人のダンサーに代えられ、主人公は一瞬のうちに童話の世界の中に迷い込んだのだった。いうまでもなく、そのすべては踊りによって伝えられている。そう考えて舞台を見つめれば、バレーってけっこう究極な表現だとあらためて気づく。それなりに入り込んだストーリがテーマになっているが、他の演劇と違い、文字はもちろん、台詞、歌などをとことん排除し、あくまでも音楽にあわせた仕草や体の運動をもって表現されている。いわば手段の選択は限界を極めている。そのため、舞台上では、老人の踊り、動物の戯れ、人形の不思議など、それぞれ特徴的な状況が繰り広げられている。そして、そのどれを取り上げてみても、いたって誇張され、時には饒舌なほど繰り返されたものだった。絢爛なバレーはまるで絵巻、といったような陳腐な比喩があるが、表現手段を削ったところに、絵との共通が隠されたと言えなくもない。
もともとほとんどの観客は、童話を熟知し、絶えず起こった拍手もあくまでも常人を超えた踊りに送られたものだった。言い換えれば、ここにストーリはあってないようなものだ。あえて絵に思いを馳せれば、この側面も忘れてはいけない。
The Nutcracker
2017年12月30日土曜日
くるみ割り人形
Labels: 内と外・過去と現在
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