音声コントロールの機器が周りで増えている。一方では、個人的にはずっと導入を躊躇ってきた。若者の、とりわけ一人で暮らしている人の話を聞くと、取り入れてみたら、未来生活っぽくて気持ち良いとの声もある。いずれは試してみないと、数日まえ、つい第一号機を購入した。
選んだのは、「Google Home Hub」。日本では特別に公式な訳名があるわけではなく、英語表記になっているらしい。なんとなくマイクとスピーカーだけの機器には自信がなくて、画面つきのこれなら、いわば音声コントロールへの助走が用意されたような感じで、背中を押してくれた。箱から取り出し、さっそくあれこれと試した。まずは音声でのGoogleとの会話。友人知人の名前を投げ出したら、公式サイトなどからしかるべき情報を持ってきて、要領よくしゃべってくるには驚いた。外国語能力も気になるが、英語を日本語や中国語にするのには、問題がなさそうだ。反対方向の使い方はまだ模索している。ハブと名乗っている以上、すべての家電をまとめることに主眼を置いていると分かる。室外のカメラ、室内の温度調整など、さっそく音声での管理が可能になった。ただし、スマート電源のTP-linkは、いまだ対応の長いリストに現われていない。展開はすこしずつしか実現できないだろう。
新しい機器の仕組みが一通り確認できた。行き届いたデザインや素早い反応などには、大満足。一方では、同じ疑問が消えたわけではない。しずかな自宅の中で、機械に向かってしゃべって指示を出すことには、日常行動としてなかなか踏み出せないでいる。
2019年2月2日土曜日
ホーム・ハブ
Labels: マルチメディア
2019年1月26日土曜日
春日の里
古文クラスは二週の講義を終えたところだ。文法のルールだけではやはり面白くない。ありのままの古典にすこしでも接してもらいたいと思って、短い段落を持ち出してみんなで読んでみた。最初に取り上げたのは、「春日の里」(かすがのみさと)と呼ばれる『伊勢物語』の第一段である。
ならば、絵も併せて見せたくなる。これまで特別に集めているわけではなく、電子公開の多いところから調べて、簡単に手に入るものから使うようにした。早稲田大学図書館も国会図書館もデジタル公開で数点読ませてくれている。右は、月岡丹下画(寳暦六)(早稲田)の挿絵の一部である。それにしても、物語の原文にあわせて読めば、ツッコミ所満載だ。春日といえば鹿、目に入った女性が二人という、物語の構成はたしかに踏まれている。ただ、初冠の主人公、平安時代なら12歳との説まであるが、とてもそのような初々しさが見られない。狩衣の模様はどうやら草だろうけど、歌の読みどころである「しのぶずり」を表現するにはやはり程遠い。もともとほかのバージョンだと、それが紅葉だったり、丸い紋だったりして、いっそう関連性が薄い。そして、そもそも物語に伝えたところでは、「裾を切りて歌を書」いたのだが、そのような簡単に表現できるものでも無視されて、男がそのまま裾に筆を走らそうとしているのだ。
版本の絵柄は創作の到達を成し、このような構図を起点としてさらに屏風や、ひいては新作の絵巻などまで作られたことが多く報告サれている。「吉野の里」に関連すれば、どのような展開が広がったのだろうか、いつかじっくり調べたい。
Labels: 画面を眺める
2019年1月19日土曜日
目
周りの知人友人との会話の中で、立て続けに目の手術を最近受けた経験談が出てきた。治療の内容も理由もそれぞれ違うのだが、とにかくその体験はかなりインパクトのあるものだったらしい。一人の人間は、瞼を閉じる能力を取り除かれたら、そこから見えてくる世界とはどのようなものだろうか。麻酔という技術あっても、あるいはそれがあったから余計に、恐ろしい。
断っておくが、いまの実例は、どれも自慢や大切な経験であって、同情を期待するようなものではなかった。そのようなところで、これといった話題を提供しなければ、話は進まない。加えて、同年代の人と共通して感じているのは、加齢による目の衰えなのだ。そこで、こちらから持ち出すのは、いつも目の疲れを減らすための工夫と、そのためのノウハウである。終日パソコンのモニターを睨みつける環境の中では、すこしでも目を逸らすための時間を増やしたい。音声入力のことは、すでにかなりのところまで利用できる。手っ取り早いのは、Google Docsからファイルを開いて、ツールのところから音声入力を選べば、そのまま入力を始められる。しかもその精度は、日々向上されている。対して、テキストの機械読み上げは、スマホに入れる定番になっている。パソコンの前に座ったら、同じくTTSの技術が利用できる。ブラウザに追加するアドオンに「Read Aloud」を入れておけば、クリックひとつで画面上のテキストがスピーカーから流れてくる。
音声との付き合いは、古くて新しい。思えば聞いたり話したりすることは、人間の基本的な能力であるだけに、その使い方を調整したり、変えたりすることはけっして簡単ではない。個人的な経験だが、音声入力で文章を書くことは、何回試しても満足できない。教室で大人数を前に喋り続けるのとは、やはりどこか根本的に違う。
Labels: つれづれの日々
2019年1月12日土曜日
古文開講
新学期が始まった。今学期の担当は、二科目、その一つは「日本語古文の基礎」。大学の教室でこれを打ち出すことには、これまでなんとなく躊躇してきた。しかしながら、まったく初めてでもない。いまの勤務校に務めるまえ、一年かけて教えた経験をもっている。あまりにも昔のことになってしまった。
日本語古文というテーマは、はたして普通の学習者からの関心が得られるのか、はなはだ心もとない。だが、実際に教室に行ってみると、受講者人数は、期待を大きく上回った。学習の理由を聞いても、「面白そうだから」、「日本語のレベルをあげたいから」など、教師の心をくすぶる答えがけっこう戻ってきた。どうやら難しいテーマは、熱心な学生を選んだらしい。ちょっと予想できなかった。
Kobun On-line
Labels: 内と外・過去と現在
