2008年8月3日日曜日

絵巻と画巻

去年の秋、一度中国の絵巻のことを書いてみた。(「中国の絵巻」2007年11月21日)「画巻」という言葉で呼ばれる同じ巻物は、中国の伝統において確実に存在し、しかも千年前の作品が、原本の一部あるいは後世の模本の形で伝わっている。

絵巻と画巻。おそらくこの二つの言葉のありかたがすでに両者の距離を物語っている。その成立において中国の文化といかなる交流があったにせよ、「え・まき」と訓読をもって読まれることは、それが日本における展開する経緯を端的に示していよう。

興味深いことに、絵巻も画巻も、ともに作品が実際に作成された当時の言葉ではなく、作品がすでに古典になった後の時代において、人々が新たに付け加えたものだ。しかも中国も日本もその言葉の形成の軌道までかなり近い。日本の絵巻は、「○○絵」と呼ばれ、中国のそれは「○○図」と記録されていた。思うに、その当時において、紙を媒体に情報を記録する場合、巻物が一番基本で普通なので、わざわざ「巻」とことわる必要がなかったのだろう。「絵」あるいは「図」という呼び方は、いうまでもなく画像が眼目だということを強調している。そこで冊子本の書物が主流になってから、はじめて巻物という一つ前の時代の形態が問題となり、ジャンル名が生まれて、それの特徴がクローズアップされるようになった。

一方では、程度の差こそあれ、現代の生活における絵巻の展開も妙に同じ方向に向いている。日本での絵巻の現代風の用例は周知の通りだ。地方の祭りなどあれば、その規模の大小を問わずすぐ絵巻だと名付く。似たような用例は、中国語の表現では、数こそぐんと少ないが、抽象的にこれを捉えて、象徴的に古風で美しいものを表現するの用いるということでは、まったく同じだ。日本語では「時代の絵巻」と愛用され、中国語では「歴史画巻」が一つの定番の用語となる。

いよいよ数日後にやってくるオリンピックの開幕式。それのハイライトはまさに「画巻」だと聞く。個人的な目撃情報やリハーサルの場外風景などかなりの数の個人的な見聞がインターネットに書き込まれたばかりではなく、メディアもすでに報じている。どうやら中国の文化伝統を表わすべく、実物の絵巻の形を模る台が用意され、最先端の技術や曲芸を駆使するとの演出らしい。その出来栄えが如何にせよ、中国絵巻の認知度が高まるであろうことは、なんとも有難い。

巨大「絵巻」で歴史再現か(共同通信)

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