昨日の「読売新聞」には絵巻の話題が報じられ、友人はさっそくそれを教えてくれた。前に書いた蘇我入鹿の暗殺(3月30日)と同じく藤原鎌足を主人公とするものだが、こちらのほうはいわば鎌足伝説のもう一つの極端を為すものだった。
これは、いわゆる「大織冠」と呼ばれる伝説である。大織冠とは、大化改新の結果の一つである冠位の最高位階であり、これを授けられたただ一人の人は藤原鎌足だったため、自然にかれの尊称と化した。「大織冠」というストーリはまさに奇想天外なものだった。その粗筋をごく簡略に述べてみれば、およそつぎの通りである。
藤原鎌足は、自分の娘を唐の太宗に嫁がせ、太宗からの返礼に釈迦の霊物を納めた玉が与えられ、万戸将軍がそれを守って日本に送られてくる。しかしながら、玉を狙って竜王は武力による強奪を企てるが失敗し、代わりに竜女を送り込み、万戸がその色仕掛けにまんまとはまり、玉を失ってしまう。ここに、宝物を奪え返そうと鎌足が奮起する。だが、その大織冠が取った奇策とは、同じく色仕掛けを仕返すというものだった。自ら海女と契って子を儲けさせ、その海女を竜宮に送り込んだ。海女は、玉を盗んで手に入れるところまで成功したが、企てがばれて殺される。海女の体を引き上げてみれば、玉は乳房に隠されていた。やがてそれが興福寺の本尊の眉間に納められるという目出度い結末となる。ストーリを読み返して、謀略と強奪、情欲と信仰と、まさに混沌とした中世的な世界をわずかに垣間見せてくれるような強烈なものだった。
以上の伝説の中核は、遠く『日本書紀』にすでに備わり、寺の縁起などによって伝承されていた。室町時代になって舞台芸能(幸若舞)として上演されて、ストーリのプロットが完成された。一方では絵画の作品でもこれをテーマの一つとし、絵巻のみではなく、屏風絵などもたくさん作成されていた。
因みに、絵巻の公開を「読売新聞」の全国版と関西版はやや異なる文章で伝えている。たとえば拝観料のことまで報じた内容は、地方と密着して頷けるが、室町時代の絵巻を紹介して「現存最古」云々と記事のタイトルに出すこと辺りは、混乱を招くだけだろう。(写真は志度寺蔵『大織冠絵巻』、『朝日百科・国宝と歴史の旅』より)
鎌足伝説描いた絢爛絵巻、初公開へ…京都・慈受院門跡
鎌足伝説あざやかに、現存最古「大織冠絵巻」初公開へ
2008年4月13日日曜日
大織冠鎌足の美人局
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2008年4月9日水曜日
人質事件発生だ!
絵巻には、代表的な画題、互いに共通する構図が多い。一方では、時には突拍子もない事件がテーマとなり、予想もしないような状況が目の前に展開してくる。『宇治拾遺物語絵巻』に描かれた人質事件の顛末は、まさに良い例である。
ストーリの主人公は、甲斐国の大井光遠という相撲取りの妹である。歳は二十を超えて、見目麗しき、なかなかの美人との評判だった。ある日、強盗が入ってきて、よりもよって一家の大事なお嬢様を人質に取った。慌てふためいた下人たちとは対照に、お兄さんの光遠はいっこうに動じる様子がなかった。人質の現場はと言えば、女性はうす色の衣に紅の袴という寛いだ格好で、強盗の恐ろしげなる男は短刀を逆さに握り、足を伸ばして乱暴に女性を後ろから押さえていた。しかしながら、ここに信じられない逆転が起こった。女性は声を上げていながらも、右手で目の前の二三十本の矢を軽々と床に押しつけると、頑丈な矢は粉々になってしまった。男はあっけに取られ、自分はとても敵わないと悟って逃げ出し、その場で取り押さえられてしまった。
以上の世にも痛快なストーリは、『宇治拾遺物語』に伝えられるものだった。そこで同じタイトルの絵巻(陽明文庫蔵、狩野探幽他画)はこれを丁寧に絵画化した。恐ろしい形相をする男はもろ肌を脱いで短刀を逆さに握り、刃の先は女性の首ではなく体に向けられている。しかも左足はたしかに女性の体の後ろに回し、体全体で女性を押さえつけている。女性は前かがみに座り、手はが散乱した矢に伸びている。建物の入り口からは、男たちが緊張した面持ちで中を覗き込み、さしずめハリウッドの映画の中によく見かけられる野次馬か警察の顔を連想させてくれる。
しかしながら、矢に伸びた女性の手は、右手ではなくて左手だった。絵師のいささかな不注意からだったのだろうか。それとも、あくまでも典型的な王朝絵画の画題の伝統を守りたいが一心で、美女を描く絵の型をそっくりそのままここに持ってきただけのことだろうか。
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2008年4月6日日曜日
祥雲に乗った楽器たち
遠来の友人を誘い、前回書いた「花下遊楽図屏風」を拝観し、ほんのりと照らされた夜桜を博物館の閉館間際まで堪能した。それと共に、博物館本館で開催されているもう一つの企画展示「絵巻――模本が伝える失われた姿」をも楽しんできた。
そもそも絵巻の模本は、公の場にあまり取り上げられていない。学術研究の見地からいえばいずれは避けて通れないものであり、しかも実際の古本の市場においては評価が日に々々増しているが、その扱い方にはいまだ十分に定まっているとは言えない。その中にあって、この展示のタイトルには強く惹かれた。
特別陳列は、「失われた絵巻たちを模本を通じて見」るという方針のもとで、『天狗草紙(興福寺巻)』はじめ九点の作品を十分にスペースを取って展示している。その中では、とりわけ『大山寺縁起絵巻』の一続きの画面を思わず見入った。
画面が表現したのは、仏の来迎と浄土への往生というテーマである。しかしながら、吉祥天女といった見慣れた構図を取らず、その代わりに瑞祥の雲に乗ったのは、数々の和楽器であった。笙、篳篥、笛、小太鼓、鉦鼓、書き出すとじつに長いリストになる。それらの楽器の一つひとつは、人の手から離れてそれだけで舞い上がり、長くて綺麗な帯をたなびかせながら、まるで命を得たがごとく空の彼方へ飛び行く。浄土への往生というテーマにおいては、祥雲の上に、貴人、牛車、輿、ひいては人を乗せたままの馬など、さまざまな構図が絵巻の中で確認されている。その中でも、突然に生命を得た楽器という物体群は、なんとも異様で、奇抜な想像を見せている。
絵巻の前に立ち尽くして、画面の表現から食み出した突拍子もない連想を捉われ、それをあえて記しておこう。空を飛び上がった物体は、なぜかわたしには、賑やかに都の夜を繰り出したあの百鬼夜行の行列を思い出させてしまった。人間の常識を超えた生命力が、画面の奥からひしひしと伝わったからだろうか。
絵巻――模本が伝える失われた姿
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2008年4月2日水曜日
花見を眺める
東京は、桜のシーズンを迎えている。学生時代に住んでいた京都の街並とは違って、満開の桜が街角全体の色を変えてしまうというような迫力を持たないが、その代わりに、公園や並木の中の一本や二本の桜は、まさに木々の中の花に見えて、特別な風情を感じさせてくれる。
いうまでもなく、花見とは、一つの日本ならではの年中行事である。花見の歴史は長い。遠く平安時代の「右近の桜」から始まって、これを人為的に植えて愛でるという伝統は早くから根付いていて、綿々と受け継がれてきた。
中世の、室町時代の花見の風景とはどのようなものだったのだろうか。たとえば狩野長信(1577-1654)筆
「花下遊楽図屏風」(国宝、6曲1双)左双を眺めてみよう。ここに描かれたのは、明らかに花を主役とする、日常から離れた平和で賑やかなひと時である。画面のほぼ中心に据えられた数台の駕籠がなにげなく伝えているように、ここはだれかの邸宅ではなく、空間的にも普段の生活の場から切り離された、まさに浮世を抜き出たところだった。長い幕に括られた庭の中で、静かな自然を打ち破るかのように、声高らかな歌や囃子が辺り一面を一変してしまう。花見をする人とは、あくまでも縁側に座った少人数の面々だろう。これらの貴人を囲み、人数の上ではそれの数倍にあたる人々は、踊りを演出したり、食事の準備をしたり、駕籠を担いだあとの休憩をしたりと、それぞれの役目をもってこの行事を支えている。ただしそのような仕える人々でさえ、華やかな風景に溶け込んでいて、それを存分に楽しんでいる。
念のために書いておくが、この画面の半分を占める木は、桜ではない。だが、同じ屏風の右双はこの場面の続きを描き、そこにはりっぱな桜がいっぱいに満開している。
「花下遊楽図屏風」は、いま東京国立博物館本館(日本ギャラリー)にて展示されている。あわせてライトアップされた博物館の庭園では、「博物館でお花見を」との行事が開催されている。今週の日曜日までだ。
博物館でお花見を
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