2008年4月9日水曜日

人質事件発生だ!

絵巻には、代表的な画題、互いに共通する構図が多い。一方では、時には突拍子もない事件がテーマとなり、予想もしないような状況が目の前に展開してくる。『宇治拾遺物語絵巻』に描かれた人質事件の顛末は、まさに良い例である。

ストーリの主人公は、甲斐国の大井光遠という相撲取りの妹である。歳は二十を超えて、見目麗しき、なかなかの美人との評判だった。ある日、強盗が入ってきて、よりもよって一家の大事なお嬢様を人質に取った。慌てふためいた下人たちとは対照に、お兄さんの光遠はいっこうに動じる様子がなかった。人質の現場はと言えば、女性はうす色の衣に紅の袴という寛いだ格好で、強盗の恐ろしげなる男は短刀を逆さに握り、足を伸ばして乱暴に女性を後ろから押さえていた。しかしながら、ここに信じられない逆転が起こった。女性は声を上げていながらも、右手で目の前の二三十本の矢を軽々と床に押しつけると、頑丈な矢は粉々になってしまった。男はあっけに取られ、自分はとても敵わないと悟って逃げ出し、その場で取り押さえられてしまった。

以上の世にも痛快なストーリは、『宇治拾遺物語』に伝えられるものだった。そこで同じタイトルの絵巻(陽明文庫蔵、狩野探幽他画)はこれを丁寧に絵画化した。恐ろしい形相をする男はもろ肌を脱いで短刀を逆さに握り、刃の先は女性の首ではなく体に向けられている。しかも左足はたしかに女性の体の後ろに回し、体全体で女性を押さえつけている。女性は前かがみに座り、手はが散乱した矢に伸びている。建物の入り口からは、男たちが緊張した面持ちで中を覗き込み、さしずめハリウッドの映画の中によく見かけられる野次馬か警察の顔を連想させてくれる。

しかしながら、矢に伸びた女性の手は、右手ではなくて左手だった。絵師のいささかな不注意からだったのだろうか。それとも、あくまでも典型的な王朝絵画の画題の伝統を守りたいが一心で、美女を描く絵の型をそっくりそのままここに持ってきただけのことだろうか。

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