2008年4月16日水曜日

絵巻の使い方

たとえば近年出版された規模の大きい歴史辞書、それから古代や中世の歴史を分かりやすく紹介する入門書、解説書などの出版物には、絵巻の画面がよく使われている。そこでは、絵巻そのものについての関心が薄く、ただ辞書や解説書の内容に沿って、それに対応できそうな絵巻の画面を選び、ほんの一部分のみを切り出して載せるものである。それは歴史人物や寺院などの宗教建築だったり、戦争や火災などの歴史事件だったりする。一枚の絵は、時に百も千もの言葉に勝る。絵が用いられたことにより、述べられている内容はぐんと身近なものとなり、生き生きとしたものに映る。

いうまでもなく、そのような出版物を通じて、絵巻の画面も大きく知られるようになった。こんな素晴らしい絵があったものだと、改めて認識されることが多い。

ただし、以上のような絵巻へのアプローチ、すなわち絵の使い方が、一巻の絵巻が表現しようとした文脈から離れ、想定していた読み方と関係ないということを、われわれはつねに覚えておくべきだろう。絵巻は、特定の人物の顔や身体特徴などを記録しようとした写実的な表現形態ではなかった。それよりも、絵と文字との競演により、連続した文脈をもって、特定の状況、伝説、物語、極端に要約すればストーリーを伝えようとしたものだった。

中世の歴史に目を向ければ、絵巻とは最大の、ときにはほぼ唯一のビジュアル文献群である。そのため、教育などのために知識を視覚的な要素を交えて伝えようとすれば、そこにはさほど多くの選択の余地が用意されていない。そして、何よりも絵巻という資料群は、そのようなアプローチを拒んでいないどころか、その豊かな内容と平易な表現をもって、さまざまな試みを向こうから進んでを誘ってくれている。したがって、わたしたちに出来ることは、つねに初心に戻り、絵によって語られようとしているストーリーを理解し、吸収するという愉しみ方を忘れないでいるということだろう。

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