狂言には、「塗師」という一作がある。狂言の典型的な構成をもっていて、三人の役柄は、師匠、弟子、弟子の妻と振り分けられ、巧みな人間模様を凝縮された時間や空間の中で展開してみせた。都で職人としての生き方に落胆し、生計を立てるために都落ちをした塗師の師匠が弟子を訪ねるが、弟子の妻に妨げられて、一こまの喜劇が広げられる。
塗師を都から追い出した理由とは、いかにも切実なものだった。その本人がいわく、いまの世の中は「何事も当世様(とうせいよう)当世様と申して」、かれ自身のような昔ながらの職人は、自慢の腕前を振るう機会がとことん減ってしまって、ついにその日の暮らしにも対応しきれなくなった。いわば時の流れには追いつけられなくて、流行から脱落した言いようのない悲哀が込められるものだった。もともとその「当世様」とははたしてどのようなものだったのか、詳しくは語られていない。推測するには、塗師の本業にかかわる絵柄、材料や工法、あるいは商品の流通、評判などもろもろの方面にわたるものではなかろうか。
中世の塗師のような職人たちが、なにを理想にし、どのような出来栄えに憧れ、まわりの環境にいかに順応したのか、今日になれば、残された記録はあまりにも少ない。その中にあって、狂言とは、いうまでもなくそれを述べるためのものではない。ただ、舞台上で大勢の観衆に伝えることを前提にしたのだから、かなり常識なことを述べていて、見る者になんの苦労もなく理解してもらわなければならない。その意味では、「当世様」に打ちのめられた一人の塗師の存在は、参考の意味が大きい。
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