2011年8月13日土曜日

菩提の色

すでに十五年ほども前のことになる。招待をうけて、東京で数ヶ月の研究生活を送った。その直接な成果として、「玄奘絵」の画面を見つめて、短い研究報告にまとめた。ただ、実物の絵巻に実際に対面することがついに叶えられていない。そこで、いまはそれが奈良国立博物館においてそれが展示されていると分かって、さっそく駆けつけて行った。

絵巻は、近年の美術館の展示においてかなり頻繁に登場していると聞く。しかしながら、それでも一点の作品のみを対象とし、その作品全体を展示期間において前半と後半に分けて、すべてを一斉に見せるというような企画となれば、やはりかなり珍しい。広い展示ホールは、メインの場面の提示や現代の風景写真を数点飾っただけで、あとは胸の高さにあわせた展示ケースに本物の絵巻を披き、じっくり鑑賞することに提供するものである。一点のみの作品を、長い観衆の流れに押されてひたすらに見続ける、まさに非現実的で至福な時間だった。いうまでもなくすべての画面は印刷されたアルバムや書籍の挿絵などにおいて繰り返し眺めてきたものばかりである。しかし、それでも実物と対面して、本物の迫力に圧倒される。あず第一、絵巻のサイズが大きい。普通の出版物としてすでにかなり大きめのアルバムでも、実はサイズをだいぶ落としたものだとあらためて知らされる。それから、作品の保存状態がよく、色合いはとにかく鮮やかだ。そのため、絵師の色についての感性がより目立った。110814たとえば秣兎羅国で十弟子のお墓を詣でるという場面(巻四)である。複数の菩提を描き分けようとしている意図があるだろうが、それにしても、金・銀・青という色選びはなんとも妙で、まるで突拍子がない。なにかの根拠に基づいての写実でもなければ、夢を託す理想図でもない。あえて言えばただただ想像にまかせての他愛もないものに過ぎず、むしろ想像力を形にするための、絵師たちがつぎ込んだ配慮や苦労が伝わるものだった。

絵巻を眺めて、大いに満足できたところに、隣の展示ホールに「おまけ」が用意されていると知って、意外だった。しかも、その迫力はこれまた大きい。中国宋の木版本から、手作り感溢れる電子展示のコーナーまで、言葉通りに時空を超えたものが一堂に集まり、見る人を大いに満足させた。

特別展 天竺へ~三蔵法師3万キロの旅

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