夏から準備に取り掛かっていたメトロポリタン美術館蔵「保元平治物語屏風」をめぐる講義は、いよいよ来週の予定となる。それに先立って、日本の、そしてカナダの知人の教授の好意により、今週は二つのオンライン授業を担当することになり、やや角度を調整して、同じ屏風を取り上げた。
インターネット環境の発達により、オンラインを用いての会議や授業などは、いまやかなり普通なものとなり、技術的にはさほど新鮮味はない。しかしながら、それでも慎重な準備が必要とされ、しかも本番でのさまざまな対応が迫られることがある。そういう意味で、先週の二つの授業は、まさに対照的でいて典型的なシナリオを経験させられた。二つの講義のうち、一つはテレビ会議など専用のソフトを選び、一つは数年前から使ってきたビデオ会議の機材を用いた。前日まで実験したにもかかわらず、二つながらも予想しなかったハプニングがあった。前者のほうは、理由不明で一方向のみ音声切れとなり、後者のほうは、導入当時は高価な機材だったにもかかわらず、手元のノートパソコンの解像度に対応せず、画像送信が適わなくなった。本番最中での判断なども含めて、前者は別の通信ソフトを立ち上げ、後者は画像情報のみローカルのパソコンから映し出すといった方法で乗り越えた。技術がどんどん進化し、変わり続ける中、安定して使い続けられるものはいまだなかなか得られないという現状をあらためて認識させられ、オンラインの利用は、その分柔軟に対応しなければならないと知らされた。
肝心の授業のほうだが、以上のような苦労が学生たちにはほとんど察知されなかったくらい、講義も議論もいたって自然かつ集中的なものが実現できた。しかしながら、取り上げた絵はあまりにも生々しくて惨烈なものばかり詰まっていて、そのような血なまぐさい描写への凝視を強いたからだろうか、活発な議論よりもしんみりとした雰囲気がなぜか深く印象に残るものだった。
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