短く京都に滞在している。記すべきことは溢れるほどあるにも関わらず、今週はやはりこれを避けるわけにはいかない。ホームタウンは、大洪水の災害に見舞われた。目下のところ、都市全体の約一割の十万人もの人間が避難を強いられ、かなりの道路や家屋などが水没されている。勤務する大学は、金曜から大学を閉鎖し、しかも同じ措置はとりあえず火曜日までと決定し、キャンパスは避難者たちのシェルターと変身した。
安否を気遣う友人は、ロッキー山脈に大地震さえ起きなければ、カルガリーはまったく自然災害などとは無縁の町なのにと、書いてくれた。まさにその通りの思いだ。これだけの現代社会で、海抜2000メール級の町が水にやられるとは、やはり妙な結果だと言わざるを得ない。しかも温暖などで突然山の氷が溶けたりしたようなことではなくて、あくまでも記録的な降水によるものだと言われているのだから、どうしても腑に落ちない。写真やテレビ画面から伝わってくる水没の画面を見つめて、見慣れた日常の風景とはあまりにもかけ離れた様子に驚き、震え、目を疑うばかりだ。
このような内容、これだけの規模の災難に襲われたら、つぎに取り掛かる課題は、被災者の救援、被害地域の再建、より大きな意味での都市計画、そして被災した人々の心のケアと、数え切れない。その一つ一つは紙上の空論ではなくて、地味な毎日の生活の一部に入り込むものであろう。その中で、とりもなおさず二週間ほどさきに迫ってくる年一度の都市行事であるロデオが、市民ボランティアなどの力で決行するとの宣言がすでになされている。どのような展開になるものだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿