平安末期に成立されたものを基に、南北朝時代に作り直された物語『しのびね』には、その始まりにおいて、絵巻を楽しむ様子を伝える貴重なエピソーが記されている。物語のヒーロー少将は、琴の音を聞いて心を惹かれ、夜になって、朧げながら意中の姫君を見初める。少将の目の前に展開されてきたのは、まるで神秘な様子だった。
「隅の間の方に、細き隙見つけてのぞき給へば、人々集まりて、絵にやあらん、巻物見居たり。
少し奥の方に添ひ臥したる人や、もし姫君といふ人ならんと、目をつけて見給へば、菊のうつろひたる五つばかり、白き袴ぞ見ゆる。髪のこぼれかかりたるは、まづうつくしやと、ふと見えたるに、顔はそばみたれば見えず。四十あまりなる尼君、白き衣のなえばめる着て、より臥して、絵物語見居るたり。「目のかすみて、小さき文字は見えぬこそいとあはれ。積もる年のしるしにこそ。火明かくかかげんや」といふに、小さき童よりて、ことごとしくかかげたれば、きらきらと見ゆる。
奥なる人、腕を枕にして居給へれば、「御殿篭るにや、さらば読みさしてん」といふに、少し起きあがりて、「さもあらず、よく聞き侍るを」とて、少しほほゑみたる顔の、(略)」
ここに、一つの絵巻享受の現場として、記述を読み返そう。姫君をはじめ人々を惹きつけたのは、絵の付いているに違いない巻物だった。複数の人々がそれを囲み、中で年寄りで、一番の知識の持ち主である尼君が書かれた文字を読み上げる。歳を嘆く口調で文字が良く見えないと言えば、だれかがさっそく明かりを強くした。そして、主役のはずの姫君は、控えめに奥に居たので、「もうお休みの時間でしょうか。止めましょうか」と気を使うと、「聞いているよ」と元気の良い声が戻ってくる。
物語が語ろうとしたのは、男主人公の垣間見である。そして、絵のある巻物を囲む女性の一群は、それに十分に応えられる、まるで精緻に設けられた舞台の一齣のように、少将の目の前に繰り広げられた。
いうまでもなく、絵に接することは、人、時、場によって違う。絵巻をすべてこう見なければならない理由はどこにもない。だが、だれかの声に引かれつつ、複数の人々でストーリーを共有し、耳で聞いて目で見て思いに馳せるという楽しみ方は、長らく語られ、記憶され、憧れられる情況だったと言えよう。
京都大学附属図書館創立百周年記念公開展示会図録
2008年1月29日火曜日
絵のある巻物を聞く
Labels: 絵巻を愉しむ
2008年1月26日土曜日
変体漢文
絵巻の楽しまれ方を探っている(1月9日の投稿)。そのために、変体漢文による資料、とりわけ室町時代の日記をすこしずつ読んでいる。
「変体漢文」。この言葉自体はあまりにも随意的なニュアンスがあって、おそらくどうしても気に入らない人も多いのではなかろうかと思う。あれこれと代わりの用語も模索されているもようだが、いまだにこれが一番分かりやすい。中世の実用的な文献、たとえば日記、手紙、契約書などは、たいていこれによって記されている。あえていえば、和歌や漢詩といった、気取った文学行為や公式行事を除いて、人々の生活の中の文字活動の大半を占めたのがこの文体によるものだった。
いうまでもなく、「変体」とは、異常を意味する「変わったもの」ではなく、あくまでも正規な漢文表記のルールに従わない、漢文から変化し、漢文と異なったということを指す。その結果、文章はほぼすべて漢字によって記されるが、漢文ではない。そのような文章を理解するためには、したがって漢文ではなくて、当時の日本語の知識が必要だ。表記には読み方を指示する仮名がほぼ皆無なだけに、日本語力が余計に大事となる。
一方では、このような変体漢文を読み始める初心者にとっては、読解知識を習得する環境はけっしていいとは言えない。古典の日本語についての知識があってはじめて読者との資格があるといった暗黙の前提からだろうか、変体漢文を文法的に説明する入門書はいまだ知らない。古文書の語彙、ひいては文章の書式を取り扱う辞書はかなりの数の種類があるのに、それの付録として格好のテーマと思われる文法要綱みたいなものには、いまだ出会っていない。こう言う筆者もあくまでも初心者なので、このブログを読んでいる読者、そのような資料の存在をご存じの方、ぜひ教えてください。
これを書いている最中に、数年前に試みた「インターネット古文講座」に対して一通のメールがモスクワから届いた。一つの練習問題の間違いを指摘したものだ。さっそくそれを訂正し、この場でお礼を言いたい。
インターネット古文講座
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2008年1月23日水曜日
石山切
久しぶりに会った友人から、去年の秋に開催された徳川美術館新館開館二
十周年記念特別展「王朝美の精華・石山切」のカタログをいただいた。特別展の副題は「かなと料紙の競演」、内容は昭和初期に分割さた「本願寺本三十六人家集」から92点が78年ぶりに一堂に会したというものである。平安のロマンと昭和の激動に思いを馳せながら、きっとたくさんの人々が展覧会を訪ねたに違いないと、拝観できなかったことを残念に思いつつ、友人に感謝し、二冊からなる綺麗なカタログのセットを読み返した。
一方では、このような規模の展覧会に相応しく、展示の主役をしっかりと支えた周りの出品も、どれも味わいがあって、光っている。とりわけ色紙貼込屏風、色紙貼込帖、かるた、そして伝土佐光起筆の「女房三十六歌仙絵巻」。王朝の和歌をめぐり、貴族女性を中心とした人々から、こんなにもさまざまな形でそれが楽しまれていたものだと、あらためて認識させられた。
実際に伝来された作品からにしても、歴史上のそれぞれの時代の享受者たちの熱い視線からにしても、歌仙絵というのは、明らかに絵巻の大事なテーマだと分かる。だが、絵巻を全体的に考えるにあたり、われわれは、詞と絵とストーリーという三つの要素を同時に持ち合わせることに重心を置きがちだ。したがって、和歌をテーマとする絵巻の取り扱い方には苦労している。この作品群は、はたして読者としての異なる姿勢が必要だとされるのか、それとも、例えば「三十六」という古典的な数字への執着から、古代や中世の人々が抱いていたストーリー性への志向を読み出すべきものか、とても興味ある設問である。
王朝美の精華・石山切
Labels: 展覧会へ行こう
2008年1月19日土曜日
残虐とは
現代映画の「ホラー」「パニック」を題材とする作品群を持ち出すまでもなく、ビジュアル表現の世界では、残虐、そしてそれによる恐怖は、つねに重要なテーマの一つである。ことは中世の絵巻においても、例外ではなかった。
絵巻を披ければ、背筋をぞっと寒気が走るような画面にはよく出会う。それも心の用意がないほど、受けた衝撃が大きい。
例えば、この画面は東京国立博物館所蔵の『後三年合戦絵詞』(中巻第五段)
からの一部である。表現されたのは、平安時代の後半、東北の地に繰り広げられた戦争の状況である。源義家の軍勢は清原武衡・家衡を囲み、城を落とすために悪戦苦闘を展開していた。囲まれた一方は、リスクを減らそうと女や子どもを城の外に送り出し、囲む方は兵糧攻めで一日でも早く結果を出そうと、彼女たちを城の中へ追い返す。そのための対応で武士は武装をしていない女性や子どもをその場で切り捨てにして見せしめにする。地面に打ち伏せになった花模様の服の女性はいまだに両手や両膝に力をいっぱい入れていながらも、首はすでに体から遠く離れたところにあった。右側には一人の武士が長い刀を振りかざしている。その下に、女性の右手は黒い服から大きく伸ばされているとしか分らないが、じつはこれは絵の具の剥落によるもので、この部分を対象にしたいくつかの近世の模写本を見れば、この女性は頭を縮め、しかも左手で赤ちゃんを抱いている。まさに地獄さながらの光景だ。
注目したいのは、ここに描かれている絵は、同時代に多く作成された地獄絵、地獄めぐりのストーリなどと根本的に違う。いわば絵師は想像に頼る、空想を愉しむような姿勢を見せていない。それよりも、あくまでも乾燥しきった筆遣いをもって、クールなまでの視線を正確な構図に託したものだった。それだけに、よけいに読者の心を揺さぶる力が漲っていると感じさせる。
恐怖はあくまでも個人の感情である。そして、残虐の内容もありかたも、それへの受け止め方も、時代に従い変貌する。話が飛ぶが、現代の映画に極端に象徴されているように、恐怖が娯楽の一角を占めるようになったというのは、これまた平和な世の中における、いたって現代的な文明の現われの一つだと言えよう。
東京国立博物館・名品ギャラリー
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