2008年1月19日土曜日

残虐とは

現代映画の「ホラー」「パニック」を題材とする作品群を持ち出すまでもなく、ビジュアル表現の世界では、残虐、そしてそれによる恐怖は、つねに重要なテーマの一つである。ことは中世の絵巻においても、例外ではなかった。

絵巻を披ければ、背筋をぞっと寒気が走るような画面にはよく出会う。それも心の用意がないほど、受けた衝撃が大きい。

例えば、この画面は東京国立博物館所蔵の『後三年合戦絵詞』(中巻第五段)からの一部である。表現されたのは、平安時代の後半、東北の地に繰り広げられた戦争の状況である。源義家の軍勢は清原武衡・家衡を囲み、城を落とすために悪戦苦闘を展開していた。囲まれた一方は、リスクを減らそうと女や子どもを城の外に送り出し、囲む方は兵糧攻めで一日でも早く結果を出そうと、彼女たちを城の中へ追い返す。そのための対応で武士は武装をしていない女性や子どもをその場で切り捨てにして見せしめにする。地面に打ち伏せになった花模様の服の女性はいまだに両手や両膝に力をいっぱい入れていながらも、首はすでに体から遠く離れたところにあった。右側には一人の武士が長い刀を振りかざしている。その下に、女性の右手は黒い服から大きく伸ばされているとしか分らないが、じつはこれは絵の具の剥落によるもので、この部分を対象にしたいくつかの近世の模写本を見れば、この女性は頭を縮め、しかも左手で赤ちゃんを抱いている。まさに地獄さながらの光景だ。

注目したいのは、ここに描かれている絵は、同時代に多く作成された地獄絵、地獄めぐりのストーリなどと根本的に違う。いわば絵師は想像に頼る、空想を愉しむような姿勢を見せていない。それよりも、あくまでも乾燥しきった筆遣いをもって、クールなまでの視線を正確な構図に託したものだった。それだけに、よけいに読者の心を揺さぶる力が漲っていると感じさせる。

恐怖はあくまでも個人の感情である。そして、残虐の内容もありかたも、それへの受け止め方も、時代に従い変貌する。話が飛ぶが、現代の映画に極端に象徴されているように、恐怖が娯楽の一角を占めるようになったというのは、これまた平和な世の中における、いたって現代的な文明の現われの一つだと言えよう。

東京国立博物館・名品ギャラリー

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