2008年1月5日土曜日

鼠の祝言

カレンダーの上では、明日の週明けになれば、ほとんどの人々が普段通りの仕事を再開する。それでは、お正月の最後の日も、鼠の話題で締めくくることにしよう。

前の投稿(11月28日)では、擬人した鼠と本物の鼠とのの同時登場をめぐり、作者の感性を考えようとした。その目で『弥兵衛鼠』を読み返せば、主人公が述べた口上に一つのヒントがすでに隠されている。

人間の手伝いにより目出度く夫婦再会、家族団欒が果たされた弥兵衛鼠は、報恩のため財宝を運んできた。その方法とは、たくさんの鼠が金や銀をすこしずつ口に銜えてくるという、あくまでも鼠の生態を顕にするものだった。ストーリーのハイライトに当たり、われわれはつぎのような言葉を耳にする。

「かたがたもつて、夫婦連れにて御礼に参りたり。白銀の盆に黄金を積み参らせ候ふ。子どもいづれも白銀黄金を持ちて参り候ふぞや。御蔵一の宝に納めさせ給ふべし。恐れたる申しごとにて候へども、われら子孫として御蔵に住むならば、三国一の大福長者となし申すべし。」

表現のニュアンスを分かりやすく現代風に訳せば、ざあっとつぎのような内容ではなかろうか。

「ご覧のように夫婦子ども一同でやってきた。このお金、遠慮なく納めてくれ。恐れながらも一言だけ言わせてもらおう。お宅にわれわれ鼠を住み着かせ、仲良く付き合ってくれるものならば、世界一の億万長者になることを保障してあげよう。」

弱いはずの鼠だが、その口上には、なぜか有無言わせぬ威厳を感じさせてしまう。そして、このような言葉に対応して、作品の画面には白い鼠が大群と成して寄せて来、絵師は丁寧にも「やひょうへ」と主人公の鼠に名前まで添えてあげた。つぎの画面の展開してくる人間の服装をして立ち振る舞う鼠たちの姿とは鮮やかな対照を見せる。

動物たちの擬人を通じて人間の世界を表現しながらも、それが動物であることへの目配りもけっして怠らなかったことは、御伽草紙の、すくなくともこの作品の基本性格の一つだったと言えよう。

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