前回に続いて、もうすこし『鼠の草子』のことを書いてみよう。
鼠を主人公に据えたこの作品は、室町、江戸を通して、絵巻、絵本とさまざまな形で制作、出版され、膨大な数の読者に楽しまれた。『鼠の草子』は読者享受という意味でも、御伽草子の代表作だったに違いない。
一方では、この作品は、ユニークで、どこか取り扱いにくい。
作品においては、鼠たちはあくまでも鼠の顔と体をしていて、人間の服装を身に纏い、人間のように会話をし、活動をする。御伽草子の作品群には、いわゆる「異類物」と呼ばれるものがあり、他には、猿、猫、狐、などなど人間の周りに生息するさまざまな動物たちが主人公となり、似たような方法でストーリーや絵の中で活動した。これらの動物たちに、人間の、いたって人間的な行動をさせることによって、作者や絵師は人間社会への観察や思いを表現し、そしてその主人公が動物だったがゆえに、表現が自由であり、思い切った風刺や批判がしやすくなる。さらにところどころにその動物らしい行動や発言を入れて、ユーモラスな愛嬌とした。
このような表現を楽しみ、今日の読者に伝えるためには、たいてい「かわいい」という一言でそれを処理してしまう。いわば今日の漫画の作品に登場する宇宙人たちを眺めるときと同じ立場を取る。人間ではない姿に、人間だという仮想を成り立たせた上で、それを楽しむ。しかも動物を人間らしく行動させるという表現の方法まで、われわれはそっくり受け継いでいる。一番最近の例だと、テレビコマーシャルに乗って一躍有名になった北海道犬の白いワンチャンだ。「話すんだ」との会話をもって、しゃべる犬という事を受け入れれば、あとは「友達の輪」である。
しかしながら、『鼠の草子』である。ここで難解なのは、人間の姿をした鼠たちは、同じストーリーの中で、人間らしく立ち振る舞いをする隣の画面では、人間の服を脱ぎ捨てて、鼠の本性をあらわにする。それも大群で登場し、人間の生活の空間を食いちぎるという、どう考えてもかわいくない生態を見せる。不気味なことに、人間の服装を纏わなければ、いっぺんにしゃべらなくなる。人間のために作られた豪華で綺麗な絵巻、絵本の作品において、このようなまったく対極する鼠たちの二つの顔に直面し、それを同等に眺めるという視線は、今日のわれわれには、持たない。
これこそ遠い昔の中世的な感性の一角だろうか。人間である以上、感性が続く。一方では、理性で理解できても、いまやそのまねが出来ないものもある。人間の感性の継続と、その断絶を、鼠への視線を通じて感じ取った思いがする。
弥兵衛鼠絵巻(慶応義塾大学蔵)より
2007年11月27日火曜日
鼠への視線
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2007年11月24日土曜日
カタログ・鳥獣戯画展
水曜日、サントリー美術館の「鳥獣戯画がやってきた!」を見てきた。人ごみにもまれて、国宝絵巻をじっくり眺められる至福な時間を得た。戻ってきて、いくつかのキーワードでネットを検索したら、この展示についてのブログの書き込みの多いことに驚いた。一つの展示会がいかに古代と現代の感性を繋いだかを見た思いがした。
前回、カタログのことを取り上げたので、その続きを書こう。
期待していた通り、カタログにはいくつかの工夫が施されて、とても愛嬌がある。内容的には絵巻を全点取り入れて、充実な周辺展示を大きく記録して、申し分がない。そして、内容よりも外装でアピールすることに製作者が意気込んだと見る。横長の体裁に加えて、透明のプラスティックのカバー、それに小洒落なエコバッグまでついて、買う気を誘う。
一方では、予想しなかったのは、売店の目立つ
ところに置かれたもう一冊のカタログ、「絵本 鼠草子」だった。まるで国宝の展示に便乗したような格好にはなるが、手に取ってみて、製作者の遊び心のようなものをひしひしと感じられた。取り上げられたのは、普通ならこのような規模のイベントでも十分主役に務まるものでありながらも、展示会場の一角に押しのけられて展示された絵巻「鼠草子」である。
正直に言うと、カタログの名前には、かなり困惑した。その意図は、絵巻という作品を、印刷された一冊の本に仕立てた、サントリーのオリジナル「絵本」ということなようだ。ただし、室町時代に膨大な数に作られ、現在ますます注目を集めている、通称「奈良絵本」という名の作品群が存在しているから、このタイトルは誤解を招きかねない。念のために、展示され、このカタログの対象となったのは、一巻のりっぱな巻物だった。しかもそれは三十年前に出版された「日本古典文学全集」(小学館)の底本になったもので、広く知られている。
このカタログの一番の工夫は、「絵本」と名乗って、すでにもとの絵巻ではないということを主張しているがごとく、絵に描かれたかなりの分量の「画中詞」をすべて現代語訳して活字の仮名で置き換えたものだった。絵と仮名との構図はここに見られない。代わりに現代の漫画でも読んでいるような錯覚を感じさせるような、ユニークな絵と分かりやすい「吹き出し」だった。
いうまでもなくこのような思い切った措置により、この名作を楽しむ新たな読者の開拓ができるに違いない。一方では、わたしの目には、あらためて印刷物の限界を感じてしかたない。一枚の紙に印刷する以上、古風の仮名かあるいは現代の活字か、けっきょく一つしかできない。もともと印刷のコストを倍にできるものならば、カラーにてオリジナル画面、白黒にて現代語吹き出し、ということもできるだろう。白黒だと、現代の漫画にいっそう近づけるかもしれないと付け加えよう。
絵本 鼠草子
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2007年11月20日火曜日
中国の絵巻
中国にも絵巻があった。しかもそれが多数制作され、数々の名品が伝わったのは、13世紀前後の南宋の時代だった。
もともと中国語には「絵巻」という二文字の組み合わせがなく、これをそのまま付けたタイトルあるいはジャンル名もない。「絵」とは中国語では多く「描く」という動作を指すもので、文献名称としての語は「図」を用いる。したがって「中国の絵巻」とはあくまでも日本語にした訳語であり、同じ立場から「画巻」との用語がある。
いわゆる「中国の絵巻」とは、ただ単に絵をもつ巻物、あるいはわずかな挿絵を取り入れた文字テキスト中心のものではない。それは日本の「絵巻」というジャンルの特徴をすべて持ち合わせている。すなわち複数の絵を中心として、それには文字テキストを各々併記し、全体をもって一つのストーリーを表現する。しかもそのストーリーは多く読者に熟知されたものであり、文字テキストも経典だったり、詩だったりして、前の時代に成立した名作をそのまま応用した。いうまでもなく、そのような作品は作成当時の、そしてその後の時代の人々に珍重され、愛読されていた。
一方では、そのような中国の絵巻と日本の絵巻との相違も大いにあった。両者の本質的な違いは、絵の物語表現だとわたしは考える。すなわち、中国の絵巻の絵は、流れていない。言い換えれば、日本絵巻に見られたような、生き生きとして、あの手この手を使っての物語表現に注いだ情熱に欠けている。代わりに、どこか中国山水画の余興といったような構図をして、山水画にも登場する人物を大きくした、といった印象で、ストーリーを伝えるということへの工夫が少ない。それから、さまざまな理由が重なり、結果としては、作成された分量は少なく、中国の美術あるいは文学の歴史において一つの表現形態としては主流を占めたとはとても言えない。
これまで中国の絵巻についての研究が多く行われてきた。日本語のものとしては、二年前に刊行された古原宏伸氏の『中国画巻の研究』が特筆すべきだ。だが、このような中国の絵巻の存在は、いまだ日本の絵巻に関心をもつ読者や研究者の視野にあまり入っていないというのも、これまた事実のようだ。
明日、成城大学文芸学部に招かれ、中国の絵巻をめぐる研究報告の場が与えられる。「胡笳十八拍図」にみるつぎの場面を中心にして、その物語表現を考えようとする。どのような交流が待ち受けているのか、ワクワクしている。
「胡笳十八拍図」第十三段(匈奴の人に攫われ、十二年の生活を強いられて二人の子供まで育てた蔡文姫は、やがて漢への帰途に着く。)
成城大学・NEWS & TOPICS
Labels: 漢字を育んだ時空
2007年11月17日土曜日
みちのくに紙
前回に書いた国際研究集会は予定通りに行われ、「戦場の便り」と題する短い研究発表を無事終えた。発表の内容は、絵巻『後三年合戦絵詞』の一場面をめぐるものだった。
すでに31回目と数えるこの研究集会は、毎回あるテーマを決めて行われ、今年のそれは「手紙と日記」であった。一方では、「後三年」には手紙を取り扱う一つの画面があり、これを理解するためには、手紙についてのアプローチが必須となる。というわけで、平安・鎌倉時代における手紙のありかたを調べる、ということで研究発表の準備に取り掛かった。
いうまでもなく鎌倉時代にはいまだ「手紙」という用語が使われていなかった。しかしながら、手紙という交流の手段は、いわば今日の手紙、電子メール、電話と、個人間の通信交流のすべての手段を兼ねてしまい、それこそ社会生活の中の重大な内容だった。これを表わす言葉には、絵巻の詞書にあった「文(ふみ)」がまず挙げられる。さらに、「消息」「雁の使い」など、異なる文体などにおいて多様多彩な語彙があった。
文字文献において以上のような言葉への追跡の中で、さらに平安の貴族生活での紙へのこだわりに気づいた。その代表格のものは、「みちのくに紙」、すなわち陸奥の地名によって名づけられ、檀の樹皮をもって作られた上質な紙である。たとえば『枕草子』には、「みちのくに紙」が繰り返し登場した。清少納言は、これを「心ゆくもの」「うれしきもの」など、気に入りのものとして数えただけではなく、さらにつぎのような形で細かくこの紙への思いを記した。腹立たしいことがあって、いっそうどこかへ消えてしまいたいという気分になってどうしようも出来ない時など、みちのくに紙さえあれば、気持ちが和められ、生きている気がするようになる。みちのくに紙とは、まさにハイ・カルチャーの代表である手紙に形を持たせる、王朝物質文化のハイライトを成すものだった。
ここには
、あるいは「後三年」の手紙をめぐる画面成立の秘密が隠されていたのかもしれない。義家の合戦が繰り広げられたのは、まさに陸奥の地だった。土地と、それから生死に直面する武士たちの姿を想像し、それを文学的に都にいる読者に伝えるために、武士と手紙との出会いが生まれたのではなかろうか。時代の文化や社会の生活の実態、そしてそれらへの思いや理解こそ、画像表現の基底にあるものだった。そして、このような推測を認めるとすれば、画像の構図を作り出すための一つの思考の実例を見たことになる。
ちなみに『後三年合戦絵詞』(重要文化財)は、東京国立博物館に所蔵され、博物館サイトにてややサイズが小さいが、絵巻全点のデジタル画像が公開されている。「図書・写真検索(カラーフィルム検索)」を辿ればすぐ分かる。
東京国立博物館(図書・写真検索)
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