2007年11月20日火曜日

中国の絵巻

中国にも絵巻があった。しかもそれが多数制作され、数々の名品が伝わったのは、13世紀前後の南宋の時代だった。

もともと中国語には「絵巻」という二文字の組み合わせがなく、これをそのまま付けたタイトルあるいはジャンル名もない。「絵」とは中国語では多く「描く」という動作を指すもので、文献名称としての語は「図」を用いる。したがって「中国の絵巻」とはあくまでも日本語にした訳語であり、同じ立場から「画巻」との用語がある。

いわゆる「中国の絵巻」とは、ただ単に絵をもつ巻物、あるいはわずかな挿絵を取り入れた文字テキスト中心のものではない。それは日本の「絵巻」というジャンルの特徴をすべて持ち合わせている。すなわち複数の絵を中心として、それには文字テキストを各々併記し、全体をもって一つのストーリーを表現する。しかもそのストーリーは多く読者に熟知されたものであり、文字テキストも経典だったり、詩だったりして、前の時代に成立した名作をそのまま応用した。いうまでもなく、そのような作品は作成当時の、そしてその後の時代の人々に珍重され、愛読されていた。

一方では、そのような中国の絵巻と日本の絵巻との相違も大いにあった。両者の本質的な違いは、絵の物語表現だとわたしは考える。すなわち、中国の絵巻の絵は、流れていない。言い換えれば、日本絵巻に見られたような、生き生きとして、あの手この手を使っての物語表現に注いだ情熱に欠けている。代わりに、どこか中国山水画の余興といったような構図をして、山水画にも登場する人物を大きくした、といった印象で、ストーリーを伝えるということへの工夫が少ない。それから、さまざまな理由が重なり、結果としては、作成された分量は少なく、中国の美術あるいは文学の歴史において一つの表現形態としては主流を占めたとはとても言えない。

これまで中国の絵巻についての研究が多く行われてきた。日本語のものとしては、二年前に刊行された古原宏伸氏の『中国画巻の研究』が特筆すべきだ。だが、このような中国の絵巻の存在は、いまだ日本の絵巻に関心をもつ読者や研究者の視野にあまり入っていないというのも、これまた事実のようだ。

明日、成城大学文芸学部に招かれ、中国の絵巻をめぐる研究報告の場が与えられる。「胡笳十八拍図」にみるつぎの場面を中心にして、その物語表現を考えようとする。どのような交流が待ち受けているのか、ワクワクしている。

「胡笳十八拍図」第十三段(匈奴の人に攫われ、十二年の生活を強いられて二人の子供まで育てた蔡文姫は、やがて漢への帰途に着く。)

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