2007年11月6日火曜日

韓国の街角から

ソウルへ行ってきた。

立教大学と韓国外国語大学校の共同主催による国際シンポジウム「東アジアの日本文学研究」に参加させてもらった。二日にわたり計十七本の講演や研究発表が行われ、わたしも「東アジアの身体・イメージと文芸」とのパネルにて、「中国絵巻と日本絵巻との一比較」と題する発表をした。活発な議論などが交わされ、短かったが、たいへん充実した数日を過ごした。

シンポジウムを挟んだ前後の三日間は、会場に座った時間には負けないぐらい学術活動が続いた。図書館、資料館を回って資料を調査し、本屋や古本に入って書籍を捜し求め、そして美術館や寺などを見学して見識を広めた。とりわけ東国大学図書館では、予期もしなかった貴重仏書展覧会に出会い、高麗時代の書写本や木刻本が一堂に集まったのを拝観する珍しい機会に恵まれた。

わたしの関心は依然画像のあるものに惹かれる。おまけに、韓国語にはすこしも知識を持っていないため、言葉が分からない、看板が読めないという環境の中では、注意が余計にビジュアル的なものに向く。めまぐるしく変化が続き、ひしひしと伝わってくる活気あふれる街角からは、古典に根付くビジュアルの伝統が思いのほか目につく。そして昌徳宮、景福宮など観光地として親しまれながらも、古典の遺産として大事に保存されている古い建物群に足を踏み入れると、壁の飾りや室内の調度など、古典画像がいたるところに見かけられる。

一方では、古い伝統を引き受けながらも、それの再生産も行われている。たとえば、つぎの写真は仏教中央博物館に隣接する曹渓寺本堂の外壁に描かれた画像の一部である。日本では、古い寺などの外壁などは、たいてい自然な色が保たれて、時間がいくら経っても変わらない風格を感じさせる。それに対して、ここには、考えようによっては、けばけばしいぐらいに装飾され、いかにも現代の息吹を思わせる画像が描かれる。そしてこのような画像は、周りを静かに行き交う、観光者とは一線を画す信者たちの姿と渾然と溶け合う。教化の場としての寺が、いまなお厳然とその生命が続いていることを思い知らされ、妙に忘れがたい風景の一角だった。

韓国旅行の経験は、わたしにはわずかに二回目。しかしながら、立教大学の大学院生や韓国の親しい同学友人たちに案内されて、貪欲なぐらいに走り回る数日を経て、親近感がぐんと増してきたことをここに記しておきたい。

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