2008年7月13日日曜日

20年前のラジオ講座

手元には、大事に取ってある一セットの録音テープがある。ここ数日、ずいぶんとひさしぶりにこれを取り出して、聞き入った。

テープの内容は、八十年代の半ばごろに放送された「NHKラジオセミナー・古典講読」の録音で、大学院の指導教授である佐竹昭広先生が講義した「御伽草子」である。全十三回に亘り、取り上げられた作品は、『文正草子』『一寸法師』『浦島太郎』といった御伽草子の代表作に加わり、いわゆる狭い意味の御伽草子ではない『藤袋の草子』『福富草子』があった。『文正草子』だけは四回、あとの作品はそれぞれ二回という構成で、一つの作品は一時間半あるいは三時間というゆったりとした放送講座であった。

佐竹先生の御伽草子の講座は、正攻法で、ずばり作品の文章を読み、その絵を説明することを通じて、昔から伝わってきた文学をしんみりと楽しむというスタイルだった。御伽草子の長い文章を、佐竹先生は原文その通りに朗々と読み上げ、そしてその表現の一つひとつについて、丁寧な現代語訳を加え、豊富な言葉を操って解説なさった。このような講義のスタイルを先生本人も「音読」だと捉えられている。そして、御伽草子そのものは黙読の文章ではない、当時の人々には非常に分かりやすいものだったと繰り返し触れられた。思えば、録音だって十分に普及されていなかった当時、おそらく大勢の熱心な聴講者たちが時間を守ってラジオの前に集まり、興味津々に聞いていたに違いない。いっさいの視覚的な要素を排除し、それを伴わせないことを前提とするラジオの向こうで、どれだけの人々が佐竹先生の講義に魅了され、その声に心を打たれたことだろうか。

このラジオセミナーは、はたしていつごろ放送されたのだろうか、確かな記録をもっていない。ただテープをもらい、そして最初から順番に聴き終えたのは、たしか1987年夏ごろのことだと覚えている。テープは、親しい先輩の一人が大事に取っておいて、題箋まで書き添えたうえでプレゼントしてくれたものだ。先輩の好意への感謝の意味も込めて、これをすべて聞いていたことだけは覚えている。ただ当時どこまで理解できたのか、あるいはなにも理解していなかったといまは思う。だが、いま、これを聞きなおして、大学院時代の学生生活のことがここに集約したような気がしてならない。あの時、大学院生のクラスでは指導教官の先生はどなたも多くは話されなかった。その分、先生が口になさった予期しない質問、短いコメントの一つひとつを、クラスから戻ってきた院生たちは、「なぜだ」「どうして」と真剣に反芻し、あるいは自分の失敗を悔しく認め、たまには辛らつにからかいあった。クラスではずっと黙っていた人も、まるで別人になった。かと言って、そのような議論をもっても分からないことが残っていても、それを先生本人に聞きただすような人は、だれ一人いなかった。指導教官と実際に交わされた言葉は数えられるほどしかなくて、指導に仰ぐことも、このように公の場での先生の発言を注意深く集め、それを分かち合うこから始めたものだった。いわば先生の背中を見て成長し、先生とはつねに緊張感、距離感を保っていた。同じようなことはいまは自分の教え子に向けるようなことはとても出来ないが、その分、自分にあのような経験があったことをひそかに自慢している。

佐竹昭広先生は、去る七月一日に逝去された。ご冥福を祈ります。

朝日新聞の記事

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