短い帰省のなかで、のんびりと繁華街を歩き回る時間を努めて作ってみた。いうまでもなく町の様子はすっかり変わった。とりわけここ五、六年の間に、20階以上の高層ビルが突然のように群をなして現れてきて、眺めていて驚きの連続である。昔の面影などあるはずもなく、残されたのは、同じ地名のみという、非常に奇妙な経験を繰り返し味わされた。
町の中心地は、古い城壁や門を再現して、昔時や伝統への憧憬を形にした。その一角は、観光客を相手の店が軒を連ね、さながら典型的な観光スポットになっている。だが、平日ともなれば、観光客の姿がまばらで、これまた違う意味で奇妙だった。さまざまな品を商う店の中には、古本を取り扱うものもある。しかしあがらどうやら値段でしか勝負する気がなく、その結果、安物だけ集まって、まったく魅力を感じさせない。なにげなく覗いた露天の棚には、なんと画巻が数点おいてあるのではなかろうか。タイトルを見れば、「九歌」「詩経」といった超一流のものばかり。思わず手に取って触ってみたが、その印刷や作りがあまりにも無造作で安っぽく、内容とのギャップが大きい。素晴らしい伝統がぞんざいな取り扱いを受けて、もともと持つべき価値まで失ったのだと、なぜか言いようのない義憤まで感じてしまった。
中国はすべてのことにおいて凄まじい勢いで変わっている。街角の様子だけではなく、古典を愉しみ気持ちの余裕も自然と生まれてくることを強く信じたい。(6月12日記)
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