生牛肉にまつわる出来事は、いまや忘れ去られようとしている。しかしながら、「ユッケ」という言葉はどうしても気になる。韓国語から来たもので、「肉膾」だと新聞で読んだ。「膾」は中国語では「快」と発音が同じで、日本語でも「かい」と読むべきだろうけど、韓国語だけちょっとした異変が起こった。もともと現代の中国語ではさほど多く使われることがなく、ただ「膾炙人口」という熟語はいまだ広く知られている。そこで、「膾」とは切ることだと学校で教わったが、なぜか「炙」に先立つプロセスとして理解し、「切ってから火を通す」とばかり思っていた。普通の料理ならたしかにその通りだが、古代の生活常識では、むしろ両者が平行するものだと捉えられ、対応する二つの料理方法だったらしい。
料理する材料が肉だったり、魚だったりする。前者は「膾」で、後者は「鱠」となる。ここで料理のありかた、さらに言葉の変化を示すのに興味深い実例がある。元の雑劇に「望江亭中秋切鱠」という一駒が伝わる。主人公の女性は、普通なら会えるはずもない貴人の前に出るために、新鮮な魚を手に提げ、これを「切鱠」、すなわち「鱠に切ってあげよう」という口実を作った。しかも、手にした鯉の魚とは、「水煮油煎」には向かないで、まさに「薄批细切」にして最高のものになるのだと説明する。火を通すという料理の仕方を取らないで、しかも腕前に自信を持ち、これを切ってみせるということで相応の報酬を要求するという、一つの鮮やかな実例がそこにあった。いうまでもなく「鱠」とは料理する方法のはずだが、ここではむしろ一つの結果であり、料理の動作を示すには「切」という動詞が新たに加えられ、その分「鱠」がすでに古風のものになったことが示される。
だが、鱠とは「薄批细切」でなくちゃならない。薄く、細かく、となればその結果とは糸状のものにほかならない。日本の刺身とはまったく異質なものだ。ならば、その更なる先に現れたのは、粉々になった「ユッケ」なのだろうか。これなど、はたして料理の進歩したシナリオなのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿