今年の京都暮らしの最初のハイライトは、やはり祇園祭。外出が重なることもあって、夕方には祇園に立ち寄るという展開で、山や鉾を立てる日から、ほぼ連日出かけてきた。そして、今日は山鉾巡行。御旅所まえの見物席の入場券にも恵まれ、数人の同僚と共に堪能した。このような経験は、すでに数十年ぶりになると思う。思えば学生時代には、自転車かバイクに乗りまわって一連の行事の数々を見物したと覚えている。なんといっても一ヶ月にもわたる祭りだから、見物するのも根気がいるものだと、今年もつくづく知らされた。
ひさしぶりに祭りを観て、新たな発見などはやはり多い。まず山鉾の名前は、謡曲のものと重なり、そこから発想を得て、それにより表現の内容を手に入れたとの改めて知る。たしかに室町文化に育まれたものであり、その時代の風流に根ざしたものだと想像がつく。それから、これも結局は室町的な派手やかさに同調するものだろうが、山や鉾の飾りをなす前懸け、胴懸けは、なぜかアラビアっぽくて、それも多くは鉾や山のテーマと関連を持たない。祇園祭の稚児などは、なにかと話題に欠かせないものなのだが、それがいつの間にか先頭の長刀鉾のみのものとなり、あとはすべて人形に取り替えられ、あるいは稚児とは名乗らない若い男の子を座らせるものになった。あとは、宵山にあれだけ大きな音声で聞こえてきた祇園囃子は、巡行ではなぜか小さくて、迫力を感じなかった。あるいはその分だけ観客の熱気が上回ったことだろうか。
今年の巡行の日は、とにかく暑い。写真を見ても、まるで湯気が立っているような感じだった。道路は観客に埋め尽くされたが、一方では周りの市民にとっては、まるで日常生活の中の平凡な一日のように軽く受け止められているところがあって、いかにも京都らしい。御旅所のすぐそばにある小物屋の店は、巡行が半分済んだころにになって、何事もなかったかのようにシャッターを上げ、普段通りに商品を道路脇に押し出した。最後の鉾が見物席の前を通った途端に、座席の撤去が始まり、それと同時に道路整備の作業員たちは商店街アーチの上を歩いて、マニュアル操作で信号機を元の位置に変え、四条河原通りは、山や鉾の渋滞を持ちながらも、一瞬のうちに普段の様子に戻った。
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