「日本」という言葉は、中世の文献において頻繁に使用されていたと知識として分かっている。しかしながら、それでも実際の文章の中でこれに対面すれば、やはりいろいろと考えさせられる。
ここ数日、「田原藤太秀郷」(日文研本)を読んでいる。大蛇退治ならぬ大蛇救助、定番の竜宮訪問、一目ぼれから始まった横恋慕う、将門暗殺、などなど、楽しいエピソードいっぱいの、エネルギッシュな中世の一篇である。どのエピソードも、それがもつ方向性を目いっぱいに極端なところまで持っていくという、室町物語特有の傾向を持ち合わせていて、今日の感覚をもって読めば、一気に読了することは、まず難しい。ただのんびりと構えていれば、得がたい読書経験にはなる。その中で、繰り返し登場した「日本」は、一つの奇妙な風景をなす。それが意味するところは、ほぼ二つのグループと分かれる。一つは、「日本国をあわせて戦ふとも」、「日本六十余州」などのように、天下すべてとの思いを込めた、世の中を指し示す。「州」の数を定かなものにしない漠然さは、むしろ果てしない「日本」を際立たせるレトリックになる。もう一つは、震旦、天竺に対するものではなくて、竜宮に相対するものとして持ち出される。想像を絶する竜宮の饗宴を前にして、秀郷の思いと言えば、「酒宴の儀式、日本には様変はりて」と結論しておいて、その特異性を並べ立てた。ここに見る「日本」は、ほかならず神仙境に相対する人間の世を意味するものだった。
このような「日本」に寄せる思いに共通するものは、なによりも誇り高いものを伴う。中世人の自己認識において、日本以外との交流がけっして多いとは言えない中での、このような感情の生成と流露は、いろんな意味において興味深い。一種の自明なことだったからだろうか、いまだに十分に捉えきれていないと感じてならない。
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