オンラインの地図、たとえばグーグルマップを愛用している。いまはその使い勝手など、並のカーナビと比べてもまったく引けを取らない。それに歩行用のモードにして、経路や距離などを出したら、たとえただたんに眺めていても興味がつきない。さらに言えば、歩行用のナビゲーションに頼り過ぎたら、歩くための大事な感性が退化するのではないかと心配までするものだが、地図を画像として保存して小さな画面で時々確かめるだけなら、小道に迷い込んだときのスリリングまで味わえられて、まさに文句がない。
そこで、ついつい地図そのものの出来栄え、あるいはデータのあり方まで注意を払うようになる。たとえば週末には竹藪の中を潜って、苔寺まで歩いてみた。目的地までの三つのお寺をめぐるグーグルマップの情報は、まさに対象的なものだった。歩いてまず足を止めたのは、黄檗山末寺の浄住院。奥深い境内の中に入って周りを眺め、それが手元の地図にはまったく載っていないことに驚いた。つぎに訪ねたのは、地蔵院。こちらは拝観料を支払わなければ入れないような観光スポットになっているにもかかわらず、地図は道路からかなり離れた奥地として載せていうる。いよいよ苔寺に近づいて、すぐ近くには鈴虫寺。駐車場には数人の交通整理の警備員が忙しく働いているぐらいの繁盛ぶりで、狭い山門の奥はごったがえしていて、まるでにぎやかな喫茶店の待合スペースに化して、そそくさに退散した。戻って、パソコンの前に座り、あらためてオンラインで確かめてみざるをえない。浄住寺の情報はたしかに収録されている。ただし、さらに二つレベルにズームインしてからでないと、それが現われてこない。念のために、Bingの地図で調べると、浄住寺も地蔵院も同じれべるで表示され、しかも拝殿などの建物のサイズで見れば、浄住寺のほうが、地蔵院と比べて、4倍ぐらい広い。グーグルは、情報料を掲載される対象に徴収していないのだろうから、まさか対象そのものの商業価値によって掲載の方法を決めているではあるまい。不思議なものだ。
ここに昼過ぎの日差しに包まれた浄住寺の写真を一枚添えよう。この静けさは、あるいは地図にまで距離を置いたこととまったっく無関係でもないのかもしれない。
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