週末にある研究会に参加した。研究発表の一つは、いわゆる「予言獣」を紹介し、江戸時代の絵画文献への当時の人々のかかわりようを取り上げた。いつものように一枚の絵にかなりの分量の文字情報が入り込み、一字一句に読んでいけば興味深い。いつの世でも災難が現れれば予言が流行り、その表現媒体の一つに絵が加担し、かつ凄まじいスピードで伝播したものだった。
ここに文字内容に定番がある。異形の魚やら猿やらの動物たちの由来、それが常ならない身体的な特徴、災難を追い払う威徳云々に続き、きまって享受の方法を指示する。すなわち「我姿を絵に書」く、「我姿を書して張置」く、あるいは他人へと「絵を伝へ見」せるものだった。そして、ここにみる複製する、繰り返し見る、他人に見せるという一連の行動の延長、あるいは逆に普段の人々にこの動作の連鎖を開始させるためには、絵の販売があった。まさに印刷が流行り、商業流通が日常化になった江戸ならではの風景である。当時の文人たちの記録などから追跡すれば、異形の絵を手にして、「街を売行」する人、「高声に市街を呼歩」く人たちの姿が出没した。考えてみれば、売り歩く行動こそ、当時では伝播のためのもっとも効率が高くて確実な方法だったのだろう。思い切って今風の言い方に置き換えてしまえば、さしづめインターネットにアップロードして全世界に見せる、といったようなやり方に当たるに違いない。ただしこの行動はあまりにも現世的な利益と直結し、現金の流れが見え隠れした。そのような側面が強くなればなるほど、信仰とは無関係の、あるいは信仰に逆行するような結果になってしまう。
はたして知識をもつ者たちは、絵による営利のからくりを早くから看破し、「愚俗の習」と批判した。そして世の中は明治になれば、「予言獣」絵画の販売は、まさに「開化」という時代のモラルに反するものとして、発売禁止の対象になった。さらに百年以上経ったいま、そのような絵は、博物館のコレクションにまでなって、展示ケースの奥からわずかにその姿をわたしたちに見せてくれているものだった。いうまでもなくそこになんらかの威徳をもつなど信用する人などもう一人もいない。
「妖怪変化の時空」(国立歴史民族博物館)
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