「なぜ制作されたか」ということは、絵巻研究における基本課題の一つだ。これに対して、「なぜ模写されたのか」という問いには、これまでけっして十分な注意が払われていない。模写とは綺麗な複製だと捉えられ、それ以上でも以下でもなかった。ただ考えてみれば、複製だと言っても、今日では想像も及ばない膨大な労力と技術、財力と権力がなければけっして成し得なかった。その分、複製という活動の理由と狙いをもうすこし考えを与えてもよさそうだ。
このような問いに正面から取り上げる論文を読んだ。そのタイトルは、そのまま「絵巻はなぜ模写されたのか」なのだ。「春日権現験記絵」の模写をめぐり、国学者長沢伴雄の活動を慎重に追跡したものだ。用いられたのは、模写に添えられた製作者の記述、そして一大事業を陣頭指揮を取り、しっかりとプロデュースした長沢伴雄の日記など当事者の記録であり、クローズアップされてきたのは、これを取り巻く政治的な力であり、これが置かれたさまざまな学問的な活動であった。結論から言えば、この一件の模写の目的は、結職故実だった。さらに言えば、国学の一環としての活動であり、根底にある方法論において共通しているということだった。長沢本人が書き記したつぎの一行が引用されて、とりわけ印象深い。「古書画はそのかみの事をしるにいと便利よろしき物なれは別てあまたに模しおくへし。」
模写の実際を理解するためには、じつに精緻な一例だ。一方では、同じ課題にむかって、たとえ当事者の記述が残されていなくても、さらに言えば、当事者個人の意識意図如何に関わらず、模写の制作にかかわる理由やその効用、それを支える時代の常識を、模写作品それ自体から読み取ることも可能なはずだ。魅力ある課題である。
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