今週、「DHjp」と題する新刊が店頭に並べられた。郵送されてくる実物がいまだ届かず、実際に読むまでわくわくしている待ち望んでいる。目録を読めば、じつに多種多様の課題や新たな展開などが取り上げられている。中では、掲載された原稿の一点はすでに著者によって全文公開され、カラフルな紙面や充実した議論がすでにインターネットを通じて伝わっている。
DHとは、いうまでもなく「Digital Humanities」のことである。この言葉について、かつてここでも議論した。個人的には、「デジタル人文学」という普通の日本語の表記を取りたい。しかしながらどうやらいまでも簡単に決まるというわけにはいかず、「デジタル・ヒューマニティズ」といった長いカタカナ言葉もあり、このようなインパクのある出版物は「DH」という英語のままの表記を選んだ。複数の表現はいまだ共存し、どれも流動的だというのが現状である。その結果、使う人がそれぞれのニュアンスを持たせ、使用する時や場、思いや狙いが込められている。そもそも、英語表記においても、まったく同じことである。勤務校で今週行われた集中的な行事の一つにおいて、周りはまたまた一つまったく異なるバージョンを作り出した。いずれ実際の形に結んだら紹介したいと思う。学問の中味が変容を続けているばかりでなく、その称呼まで流動していることは、まさにいまの時代に廻り逢う貴重な経験の一つだと言えよう。
DHjpは、シリーズものとして計画されている。その創刊号に短い一編を投稿させていただいた。ずっと一つの理想像として受け止め、個人的にはまったく関連しなかったプロジェクトを紹介した。いくらか参考になれればと願っているばかりである。
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