今年も「日本語作文ボード」を再開した。すでに三年目に入るが、その年度に卒業する学生たちを対象にしたクラスが全員で運営するサイトで、週一回の更新をしている。今年の学生数は11名、いずれも個性豊かで、やる気いっぱいだ。学期を通して十二編を書き上げるという予定で、まさに作文のマラソンである。
さっそくやや意外な話題が取り上げられた。日本旅行の思い出を記したものだが、なんとわざわざあの長良川の鵜飼を見物してきたものだった。宇治川の鵜飼しか思いになかったのだから、虚を突かれて、クラスではなんとか場を凌ぎ、パソコンの前に座ったらあれこれと調べてみた。鵜の鳥を道具にしての漁は、せいぜい釣り人の享楽なものだとばかり考えていたのだが、なんと「隋書」に記されたものでは100尾を下らないと言い、さらに明治時代の記録だと、一晩で一羽の鵜が300尾を取ってきた、とか。ただそれでも特権や援助が付きもので、強力な経済活動には程遠いということには変わらない。それから、観光のハイライトになっているだけに、ショーとしての要素は強い。ただし、どうやらそれだけでは捉えきれないところがあり、鮎などの魚が、釣り糸と闘わなかった分、新鮮でいて骨が柔らかく、旨味が上等だ、とか。
しかしながら、鵜の首に輪を取り付けるということ自体、いまごろの西洋的な発想だと、どうしても動物本位の疑問が付きまとう。じじつ、同じ作文に寄せられたコメントには、さっそく「鵜が可哀想だ」と書き入れられた。じっさいに見物してきた学生は、これについての答えをきちんと抱き、「普通の鵜の寿命は四五年、鵜飼に使われた鵜は二十年近く生きられる」との知識をすらすらと披露した。動物を道具に用いる実践になると、このような回答は、観光地などではっきりと用意され、大きく伝えられたのだと、感心した。
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