カナダの大学には、入学式というものはなく、その代わり卒業式はきちんと行われている。一ヶ月以上の旅から戻ってきて、さっそくそのような式に出てきた。しかも教える者として卒業生に向き合う席というこれまでの数回の経験と違って、こんどは真横の父兄の席に座った。横に広がる眺めは、清々しくて素晴らしい。
考えてみれば、大学の卒業式ほど大事な門出の儀式がない。大学を離れた若者は、言葉とおりに成人となり、一人前の社会人となる。それを祝う儀式の、きちんとやるということは、有名人に顔を出してもらうとか、ひいてはなんらかのパフォーマンスを見せるとかといったようなものではなくて、最小限の祝辞に続いて、とにかくすべての卒業生の名前を一人ひとり読み上げ、壇上に上がってもらって、大学の代表者と握手を交わすものだった。単純な儀式だが、計算してみれば途方もなく時間のかかるものだった。事実、勤務校の学生数は3万人を超え、年間8千人の卒業生を育て上げ、かれらのために用意した卒業式は、一日二回の日程で、一週間も続くものなのだ。実際に参列したのも、学生の名前を読み上げる役目は、四人に分かれて担当させたものだった。晴れの舞台を横切り、背筋を伸ばして学長と握手する若者たちが見せた華やかな笑顔は、なんとも羨ましくて最高だった。
そう言えば、不意に自分のことを振り返り、まったく環境が整わなかった時代に育ったことの現われそのものにほかならないが、入学式も卒業式も、どれ一つ経験していない。その時その時、つぎのステップを目指して突っ走ってきたものだが、節目の儀式への感覚は、理屈上の理解に頼らなければならなかったことは、残念なものだ。
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