2014年8月2日土曜日

胸を裸ける女

20140802絵巻には、ときどき奇妙で、今日ではちょっと考えづらい、どう受け止めてよいのか戸惑うような場面が描かれる。その一つには、性別に関わるものがあげられよう。たとえば『一遍聖絵』に収められている右の一コマだ。

全国を雲遊する一遍の足あとは、いうまでもなく聖地や名山に及ぶ。ただ、かれの伝説的な生涯を伝える伝記は、そのような名勝の地に過剰なレスペクトを抱き、きわめてステレオ的な視線で捉えている。一方では、これを丁寧にビジュアル表現する絵巻になると、たいていのところを一様に右へと展開していく建物群をもって表現している。そのなかで、ここでの画像はあの当麻寺の門前に繰り広げられた風景の一つである。寺もほど近くなり、群衆の一群は寺を目指して道を急ぐ。かれらの身の上のことを詞書が何一つ触れることなく、出で立ちも仕草も一遍の遊行との関連においてとくべつな必然性が見られない。その中で、ここに見られるような大ぴらに胸を裸けた女性の姿が登場した。身に纏っている服装のあるべき効用をあきらかに無視し、しかもなにかの極限の情況で身なりに気を配る余裕がないとかのような設定でもなく、画面が表現しようとする意図はなかなか簡単に読みきれない。はたして女性はどうしてこのような格好をしなければならないのだろうか、これを周りの人々、それから絵巻が作成された当時の読者たちがどのように受け止めていたのか、正直さっぱり見当がつかない。

あるいは確実に言えることは、このような格好や身なりは、今日にいう色気とはさほど関係ないということぐらいだろう。当時の平均的な読者たちは、色気というものをきっとこのような構図ではなくて、まったくべつのところに求めていたに違いない。答えが見いだせないままだが、このことが確認できて、時代によって読む人の常識も異なることに気づかされただけで、まずは有意義だとしよう。

0 件のコメント: