今週に伝わってきたニュースの一つに、「昭和天皇実録」が公開されたということがある。一万を超えるページ、出版に先立っての内容公開、動乱の時代を横たわる貴重な記録としては、さっそく各方面から注目が集まり、中国などのニュースメディアまでさっそくコメントを出したりしている。
政治史にはまったく縁のないものとして、むしろこの報道に接して、出版に関連して、興味深い一瞬をキャッチした。これを伝えるNHKのニュース番組は、来年から順次「書籍として出版」とはっきり述べている。思わず耳を疑いたくなった。ついにここまで来たのか。出版という言葉は、自分の中では書籍の形態にして公にするという意味しかもっておらず、書籍ではない出版など、個人的にはいまだ見聞をしていないが、どうやらそうとも言えないぐらい、世の中にはすでに変化が起こった。思わずインターネットで調べた。すると、あるわあるわ、まったく同じ用例以外、極端な場合になると、「紙の書籍として出版」とまであった。そういえば電子書籍があるのだから、書籍だって自明ではなくなった。一方では、良く考えなおすと、この表現にはべつの理由があるのかもしれない。ことこのような規模のものとして、電子の形で公開したら、もっともっと使いやすいに決まっている。検索だけではなく、読みたいものに飛びつくこともはるかに簡単なはずだ。もちろん、資料の性格上、あえてそのような処置を取らない。もしそのような理由からの表現だったら、データベースではないよ、との断りなのだろうか。
言葉は生き物である。言葉はどんどん変わっていく。これまでずっとあったものでも、弱小なものに流されたおりには、限定や説明がつくようになる。言葉におけるこの変化のあり方を、やはり自覚しておくべきものだ。
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