学生たちを相手にする正規授業外の講義は、今年も設けることになった。カナダ三井基金からの助成を去年と同じく授与され、かつ二年目を迎えるということで、レクチャーシリーズを今年はより規模を大きくして実施することにした。外部からの招待レクチャーに加えて、現役の教員がそれぞれ一席を受け持ちするというやり方を継続し、自分の担当では今年も漫画の話題を取り出すことにした。
日本語のクラスに通っている学生の多くは、たしかに漫画、アニメといったポップ・カルチャーから流れ込んできた。かれらの口から平気に出てくる固有名詞には、さっぱり着いていかないのは、ほとんど日常茶飯事となっている。その一方では、いまどきのメディア伝播のルートなどが発達していても、日本での現在進行形のもろもろの状況となると、漫画一つにしても、漫画誌から中古の書店にいたるまで、どれ一つ取り上げてみても、いたって異国的なものだ。これらのことをツカメとして、広く古典画像の世界を選択的に紹介してみようかと、レクチャーのパワポを用意した。話を通じて感じ取ってもらいたいのは、とにかく古典の伝統とそれがもつ現代との距離である。具体的に言えば、はやりの漫画について、そのすべての要素が古典の中にすでに用意され、応用されていいたにもかかわらず、現実的にはそのような古典からの寄与は、発想の上で下地とみられる程度にすぎない。まずはなによりもこの事実とこれにかかわる理由を議論の内容としたい。
ちなみに、イベントのポスターは、学生の設計によるものだ。絵巻からの画面も提供したが、なぜか使われなかった。あらためて要求するというやり方もあるが、若者たちをもり立てることも含めて、とにかく良きとした。浮世絵を持ちだしたら、十分に古典だという平均的な発想のサンプルとして、あるいはそれなりに意味をもっているとさえ言えよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿