古典画像は、いまやかなりの数に及んでデジタル公開をされていて、日常的な活動においてはあれこれと目的にあわせて利用している。すこし前までは、これといった公開に気づいたら、苦労してローカルに保存するような作業もしていたのだが、いつの間にかそのような試みがすっかり不要となった。リソースの存在自体の安心感もさることながら、そもそもローカル保存ということではとても対応しきれないものなのだ。
高い画質をもつデジタル画像のことを、ばくぜんと高精細と呼んでいる。はたしてどこまであれば「高精細」と言えるのだろうか。二年前に書いた文章でこれに触れて、「大まかには、奈良絵本横本の一帖の画像がパソコンモニターの四倍かそれ以上」と、かなり印象的な書き方でごまかしていた。ここでいうモニターとは、いうまでもなくそのサイズのことではなくて、解像度のことだ。手元に使っているモニターは、いわゆるフルHDで、画素数は2000×1000(1920×1080)だ。一方では、絵巻の画像は、横に広がり、四方一枚のフレームに閉じ込められないことを特徴とするので、とりあえず縦の画素数が手っ取り早い基準となる。そこで現在公開されている代表的なものを見てみれば、「e国宝」に収められた絵巻は最大で縦約6500画素、国会図書館のデジタル古典籍資料は、画像部分が最大で約5000画素、上記の「四倍」という捉え方は数値的に合致している。ただし、汎用のパソコンのモニターはさほど大きく変わらないが、対して世間では「4Kテレビ」がすっかり馴染みやすい用語となり、8Kも話題になった。4Kだと縦2000(2160)画素、8Kだと縦4000(4320)画素なので、ここでいう精細画像は、わずかに8Kよりはみ出す程度のものなのだ。
デジタル公開の基準はまだまだ流動的で定まらない。現在公開されている上記の代表的な二つの機関の画像も、最大で利用しなければならない状況となると、そう多くはない。言い換えれば、あえてこのような公開の方法を選んだのは、環境の進化を先取りする側面がある。ただ、そう言っている間に、あっという間に環境がそれを追いつき、追い越してしまう。したがってデジタルコンテンツの作成には、環境を先取りしないとかなりの不安が残る、というのも事実だろう。
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