2016年5月7日土曜日

底本の間違い

ここ数日、小さなプロジェクトに取り掛かり、室町時代物語の一篇「あきみち」を読み返している。いわゆる典型的な奈良絵本の体裁をもっていて、その流麗な変体仮名は、やはり見つめるほどに魅入られてしまう。そこで、底本に見られる興味深い一例をここに記しておきたい。

物語の主人公であるあきみちの妻がはじめて登場したところである。美人を形容する常套文句が用いられ、「みめかたちよにならびなき(見目、形、世に並びなき)」との描写が読まれる(六オ)。しかしながら、あまりにも言い慣れた文章だったからだろうか、なんとここだけ書写する人が緊張が切れて、二回書いてしまった。底本を翻刻した『御伽草子』(日本古典文学大系)もこれを見逃せず、「誤りと見て、改めた」と慎重に注釈を添えた(396頁))。ここに、底本をあらためて見れば、同じ文章であることには違いはないが、しかしながら、使われたかなのうち、「め」と「き」は違う字母のものなのだ。この事実からは、底本書写のどのような状況が推測できるのだろうか。書写のプロセスは、はたして読み上げられたものを聞き取りながら進められたのだろうか、それとも元となる文章を書写する者その本人が目で追いながら書いたのだろうか。普通に考えれば、後者のほうが自然に思われる。ならば、書写する人において、違う字母をもつ仮名は、どこまでも同質なものだったと認識されていたという結論にたどり着くことだろう。

ちなみに、底本は国会図書館に所蔵されている。デジタル化されてインターネットで公開されているので、簡単に閲覧することができる。古典文献へのアクセス環境の激変には、いまさらながらそのありがたさを噛みしめるものである。

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