新学年が始まろうとしている。今学期の担当は、近代文学と歴史という二科目、いずれも講義が中心の、大人数のクラスだ。文学のほうは三年ぶりに開講するもので、毎回すこしずつ違う内容を取り上げ、自分にとってけっして身近ではない小説などを読むきっかけを作ろうと心がけている。そこで、準備に取り掛かって、さっそく気付かされることがあった。
学生たちに提示する参考資料を決めようと、大学図書館のカタログを検索し、あの「ebrary」はますます充実するようになったことを実感した。大学関係者としてだけ利用できるものだが、保存なら自由に指定する枚数をPDFに変換し、オンライン閲覧の状態なら書籍にテキストファイルの形でアクセスできる。さらに驚いたのは、検索対応の内容だった。簡潔な作者の紹介を探そうと思ってカタログに作者名を入れたら、さっそく期待したものにたどり着いた。よく見てみれば、七百頁を超える書籍の中の、ただの二、三頁分量の章段のタイトルが、そのまま独立した検索項目としてヒットしたのだった。図書館カタログの対象は書名、著者名、分類といった伝統的な枠組みは、いつの間にかすっかり様変わし、図書はもはや検索の最小単位ではなくなった。
今週はじめに、digitalnagasaki氏はそのブログで国会図書館のデジタルコレクションの検索内容への細かな、あくまでも利用者の立場からの指摘を記した。図書検索の実態とユーザからの期待、そして検索システムが対応できる情報量の爆発的な増加に伴い、図書館側の対応も急速に変わり、目が離せない。
国デコの使用感
2016年9月3日土曜日
図書検索
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