2008年1月16日水曜日

「宮廷のみやび」展を見た

東京国立博物館にて開催されている「宮廷のみやびーー近衞家1000年の名宝」展を見てきた。平日の午後という時間台だったが、それでもすべての展示の前に一列あるいは二列の観衆が集まり、ゆっくりとした移動に従わなければならないほどの賑やかな会場だった。

展示されたのは、京都にある、世にも名高い陽明文庫のコレクションの数々の名品だった。歴史や古典に関心をもつ人なら誰もが舌を巻くような一流品ばかりが一堂に集まり、その眺めはまさに壮観だった。広い四つの展示ホールをいっぱいに飾った200点を超える展示品は、平安、鎌倉、室町と江戸と、千年の歴史に亘り、作品の内容も、日記、書簡、和歌懐紙、屏風や工芸品と、豊富なジャンルを揃えた。とりわけ「御堂関白記」(国宝)、「春日鹿曼荼羅図」(重要文化財)、「大手鑑」(国宝)、「五絃琴譜」(重要文化財)など、教科書や美術全集によく見掛けられる作品は、実物の迫力が違う。そして、重要文化財か重要美術品の、いずれも鎌倉時代伝来の七点の刀は展示の一角を占める。普段持たれている公家の代表としての藤原家のイメージ、しかもこの展示が訴えている「宮廷のみやび」からはかなりかけ離れたものとして目に映った。なお、今月に豪華版で出版される「宇治拾遺物語絵巻」も二巻ほど開かれて展示された。

一方では、展覧会を見て全体として受けた印象は、文字資料の多いことだった。これは陽明文庫のコレクションの性格というよりも、展示を企画する主催者の選択の方針によるものだろう。半分以上の観衆は、音声案内を購入して熱心に聞き入っているが、その紹介も全体の展示品の一部にすぎない。それに対して、一つひとつの展示品についての紹介は、あまりにも簡略でそっけない。展示品の下に小さな文字での翻刻を添えるだけで、翻訳や説明どころか、現代文字遣いへの置き換えさえ施されていない。いつもながら熱心な観衆の文化教養のレベルの高さを感嘆しつつ、たとえば若い学生や、時代や社会のことをもっと知りたい人々のためにもうすこし詳しい情報が提供できないものかと、おもわず首を傾げる思いだった。

宮廷のみやびーー近衞家1000年の名宝
展示作品一覧
宇治拾遺物語絵巻

2008年1月12日土曜日

増裏・ましうら

約十年ほど前に放送されたあるテレビ番組を録画で見た。内容は、アイルランドのダブリンにあるチェスタービーティライブラリーを紹介しつつ、同ライブラリーが所蔵する絵巻を日本で修復するプロセスを記録したものだ。数百年前に作製された絵巻をもともとの一枚の紙にまで解体し、その上、改めて一巻の巻物に仕立てなおす。表装師の腕前は、まさに神業と言うほかなかった。長い年月の洗礼を受けた絵が、そこまで蘇られるものだと、まさに目を見張るものがあった。

テレビ番組は、修復の過程を丁寧にカメラに納めた。そして、ナレーションが豊富な情報を教えてくれる。その中では、絵巻の解体や古い表装を取り除く作業について、裏打ちが普通三回施されることを触れて、「総裏」「増裏」「肌裏」という三つの言葉を交えて、それぞれの取り除く方法、取り除いたあとの結果を見せてくれた。とても珍しい眺めだった。

裏打ちに関係するこの三つの言葉には、しかしながらまったく知識を持っていない。さっそく辞書を調べてみる。手元に使っている国語辞書は『広辞苑』『国語大辞典』『スーパー大辞林』、そして百科辞典は『世界大百科事典』である。結果から言うと、「総裏」だけ洋裁の用語として収録されていて、あとの二つの言葉はいずれの辞書も取り上げていない。しかも、あのポピュラーなウィキペディアでさえ、いまの時点ではこれを収録していない。

いうまでもなくこのテレビ番組が三つの言葉を拵えたはずはない。調べ方を変えて、違う方法でインターネットで調べたら、つぎのサイトにたどり着いた。以上の言葉が一つのセットになって取り扱われ、しかもそれぞれの解釈がたしかに載せてある。

思えば、このような言葉は、あくまでも表装を職業とした人々たちの間で交わされたもので、一種の業界用語である。そのような専門的な分野の言葉を、あえて専門以外の人々に持ち出して聞かせる。しかも無意識のうちにそのような用語の使用を通じて、伝えようとする内容に権威を与えようとする言葉使いの慣習が、とても日本的なものだとなぜか強く感じた。

掛軸の製作工程

2008年1月8日火曜日

五百五十年前の絵巻鑑賞

その昔、絵巻はどのように人々に楽しまれていたのだろうか。とても魅力的な質問である。

たとえば、つぎのような記録が中世貴族の日記に残されている。

時は室町時代中期の嘉吉2年、西暦1442年、場所は京都、主人公は中原康富である。康富は朝廷政治の中で低い地位にある官吏(正六位上)であり、役目は外記(げき)局での朝廷公事の記録や補佐である。そのような公式な仕事の傍ら、豊富な漢文の知識を生かして、貴族の弟子たちを対象によく家庭教師を引き受け、生活の補助とした。その教え子の一人は、伏見宮貞成の第二王子の貞常親王である。この貞成は時の後花園天皇の実の父親であり、貞常親王は天皇の実の弟であった。

そんな中、夏のある日、康富は友人宅を訪ねたら、そこでは思わぬ絵巻鑑賞会が開いていた。康富の友人でもある諏訪忠政という人が、家に伝来したものを自慢げに持ってきて、みんなの前で披露したのである。康富は興味津々とそれに参加した。絵巻のタイトルは「諏訪明神縁起」である。だが、康富はその場の主客というわけではなく、半分ぐらい見たところですでに夜更けになったということで、鑑賞会がお開きとなった。半分しか見られなかった康富はただ残念でならなかった(6月11日)。

数ヶ月経った冬のある日(11月26日)、家庭教師の場に生徒のお父さまが現われてきた。この人の絵巻好きというのは、どうやらかなりの評判だったらしく、ご機嫌を取ろうと、先の絵巻鑑賞のことを報告した。はたして貞成がかなり興味を示し、一度借りてきてご覧に入れようと、康富がその場で約束した。

二日あと、忠政の来訪を受けた康富は、さっそく上の経緯を伝え、貸してもらう約束を取り付けた。師走に入り、12月1日にはさっそく上等な唐櫃に入れられた絵巻が持たれて来た。ただし忠政に取っては、たとえわずかな数日とは言え、絵巻を手放すということは一大事だった。それを形にするために、わざわざ長い念書を添えた。要するにこれは自分に取ってはたいへん品物なので、確実に返却があるようにとの念押しだった。康富はもちろん承知し、そのまま忠政に伴って、一条東洞院にある伏見宮の邸宅にこれを持っていった。実際に絵巻の閲覧が適えられた貞成は思いのほか嬉しくて、その場にお礼として金覆輪の太刀を一振り忠政に与えた。

一方では、この絵巻閲覧の仲介を苦労して働いてくれた康富にもお礼を言わなければならない。そこはさすがの伏見宮。二日の後、いつもの家庭教師の仕事が終わったら、康富はさっそく呼び止められ、「文治頼朝幕下被責奥州泰衡御絵(十巻)」が出されて、その場だけだが、閲覧を許されたのである。なかなか粋な計らいではなかろうか。

同じ師走の23日に、絵巻は無事に忠政に返された。この短い間に、貞成のみではなく、絵巻はさらに内裏に持ち込まれ、天皇の玉覧に入れられた。忠政はただただ恐縮したと、実物を手元にして、たいへんな満足感に耽ったものだった。

因みに、ここに記されている絵巻の絵は、一枚も伝わっていない。しかし、幸運なことに、詞書だけは残されていて、今日でも簡単に読むことができる。

以上の生き生きとした絵巻享受の実例から、どんなことを読み取ることができるだろうか。これは、ここ数日の読書のテーマである。その初歩的な結果を近々ある研究会で発表する予定になっている。

立教大学日本学研究所・研究会のお知らせ(第33回)

2008年1月5日土曜日

鼠の祝言

カレンダーの上では、明日の週明けになれば、ほとんどの人々が普段通りの仕事を再開する。それでは、お正月の最後の日も、鼠の話題で締めくくることにしよう。

前の投稿(11月28日)では、擬人した鼠と本物の鼠とのの同時登場をめぐり、作者の感性を考えようとした。その目で『弥兵衛鼠』を読み返せば、主人公が述べた口上に一つのヒントがすでに隠されている。

人間の手伝いにより目出度く夫婦再会、家族団欒が果たされた弥兵衛鼠は、報恩のため財宝を運んできた。その方法とは、たくさんの鼠が金や銀をすこしずつ口に銜えてくるという、あくまでも鼠の生態を顕にするものだった。ストーリーのハイライトに当たり、われわれはつぎのような言葉を耳にする。

「かたがたもつて、夫婦連れにて御礼に参りたり。白銀の盆に黄金を積み参らせ候ふ。子どもいづれも白銀黄金を持ちて参り候ふぞや。御蔵一の宝に納めさせ給ふべし。恐れたる申しごとにて候へども、われら子孫として御蔵に住むならば、三国一の大福長者となし申すべし。」

表現のニュアンスを分かりやすく現代風に訳せば、ざあっとつぎのような内容ではなかろうか。

「ご覧のように夫婦子ども一同でやってきた。このお金、遠慮なく納めてくれ。恐れながらも一言だけ言わせてもらおう。お宅にわれわれ鼠を住み着かせ、仲良く付き合ってくれるものならば、世界一の億万長者になることを保障してあげよう。」

弱いはずの鼠だが、その口上には、なぜか有無言わせぬ威厳を感じさせてしまう。そして、このような言葉に対応して、作品の画面には白い鼠が大群と成して寄せて来、絵師は丁寧にも「やひょうへ」と主人公の鼠に名前まで添えてあげた。つぎの画面の展開してくる人間の服装をして立ち振る舞う鼠たちの姿とは鮮やかな対照を見せる。

動物たちの擬人を通じて人間の世界を表現しながらも、それが動物であることへの目配りもけっして怠らなかったことは、御伽草紙の、すくなくともこの作品の基本性格の一つだったと言えよう。