短い数行の日記のことを記しておきたい。これを残してくれたのは、三条西実隆(1455~1537)という、室町後期の屈指の文化人である。
晩頭有召之間参候。□□、奈良霊物、以大般若経料紙、由託宣六百巻画図者殊勝之由有勅語、当時纔三十巻計相残る云々、拝□之、人間病苦之体、鬼界飢渇之憂、地獄苦痛之趣等、惑涙銘肝、更驚無常者也。深夜退出就寝。(『実隆公記』文明十年三月二十六日)
時は文明十年(1478)春のある日の夜である。後土御門天皇に呼び出されるまま、実隆は内裏に入り、きっとめずらしい出来事に違いないという絵巻の拝観が適えられ、それが一気に真夜中まで続いた。奈良からもたらされた絵巻の肝心のタイトルは、日記の損傷によるものだろうか、伝わっていない。ただ当初六百巻にもおよぶといわれるものがわずかに三十巻程度しか伝わっていないと記されている。五百年以上も経った今日からすれば、それだってずいぶんと分量の多い作品である。絵巻の内容を記して、実隆は「人間病苦の体、鬼界飢渇の憂、地獄苦痛の趣」と思わず美麗な漢文を持ち出す。そしてこれに続いて、かれ自身の打たれた思いを記して、「涙に惑い、肝に銘じ、更に無常に驚くものなり」と結ぶ。「惑涙」という表現は今日すでに使わないが、きっと「銘肝」と同じような重い意味合いが込められていたに違いない。
実隆に深い印象を与えたのは、いうまでもなく絵巻にある絵というよりも、まずはそこに描かれた内容だったのだろう。一方では、今日のわたしたちにこの日記がもつ真摯な思いを伝えてくれたのは、私的な記録にもかかわらず、思わず練りに練った表現に結晶したことが象徴しているように、実隆が受けた名状しがたい感慨は、まさに絵ならではの表現媒体がもたらしたインパクトに拠ったものではなかろうか。
文明十年とは、まさにあの応仁の乱がようやく終着を見せた年であり、十年の戦乱を経た京都の巷は、時の人々、とりわけ知識人たちにはきっと地獄を思わせただろう。その中でのこの短い観賞記は、読み返して、なまなましい。
2008年2月19日火曜日
地獄絵観賞記
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