手元に一枚の美しい刷り物がある。タイトルは「日本義民之鑑」。作者や制作の時間などの情報は一切記されておらず、絵の内容やスタイルなどから、恐らく明治に入ってからの作品だと思われる。三十の枡形に等分された一面は、それぞれ要領の良い説明を添えて三十の伝説のエピソードあるいは名勝旧跡を描く。
ここにいう「義民」とは、江戸初期の伝説な人物木内宗吾、通称佐倉惣五郎である。民衆の苦しい生活を変えようと、かれは江戸の将軍に直訴し、やがて一家六人全員死刑に処せられる。宗吾、そしてその叔父の光全和尚の霊の祟りにより領主堀田正信が発狂し、堀田家が断絶してしまう。「義民」という名の英雄像は、いかにも江戸から社会の風潮、そして民衆の精神のありかたの一面を映し出す。
刷り物の三十の場面には、例えば右のような一齣を含む。佐倉惣五郎伝説の名場面の一つであり、説明の文章はつぎの通りである。「妻は悲しみ子は叫ぶ。宗吾の心果たして奈何の情をされど、身命を堵して生民を途炭の苦より救はんとす。」
木内宗吾の伝説は、さまざまな形で語り継がれてきた。中でも、とりわけ実録文芸『地蔵堂通夜物語』、歌舞伎・浄瑠璃『佐倉義民伝』が有名だ。豊国の浮世絵には、「仏頂寺寺光ぜん霊」という画題の作品が数点伝わり、民衆の関心のありかたが伺える。それに対して、この明治の刷り物には、宗吾や光全の墓を訪れる人々の中には洋服の学生まで登場し、時代の様変わりが余計に印象付けられる。
一枚の刷り物に枡形で数々の場面を描きこむことは、いわゆる双六というスタイルである。ただしこの作品には番号も振っていなければ「上がり」もない。それにより、双六というスタイルがもつ叙事的な特性をむしろ確認できるような思いがした。一方では、一つの画面に絵と文字でストーリーを伝えるというのは、あくまでも絵巻の叙事方法の延長だが、しかしながら、目の前の刷り物の絵の構図は、その一つひとつとして、むしろ舞台劇を覗いた錯覚に陥らせるものだった。
2008年2月27日水曜日
日本義民之鑑
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