2008年5月18日日曜日

絵の効用

絵は目を愉しませる。絵はストーリを伝える。しかしながら、歴史記録に目を移せば、絵には、今日のわれわれの常識では測りきれない意外な効用を持っていた。

たとえば、中国の古典に伝わったつぎの逸話を読んでみよう。

話の主人公は、北宋第八代の皇帝徽宗(在位1100-25年)である。北にある遼の国を征伐しようと思いたつが、群臣の反対にあう。そこで、絵画の才能をもつ陳尭臣という人物を得た。徽宗は尚書という職を偽って陳に与え、かれを使者として遼に送り込む。無事に宋に戻ってきた陳は、徽宗の期待に叛かず、「(遼の皇帝が)人君に似ず」「亡、旦夕にあり」との観察を報告した上で、遼の皇帝の顔つき、そして山間の道路や関口を描いた画像を進上した。このような情報は、やがて徽宗に軍事行動を取らせる最終的な理由となったとか。もともと人君の顔とはどういうものなのか想像よりしかないが、地形や関連施設の設置状況などは、大きな軍事的な価値があることはいうまでもない。

この逸話を伝えたのは、南宋の王明清(1127-?)が記した『揮麈録』という書物である。中国の古典の中では、「筆記」という体裁のものに属するが、日本の古典研究の捉え方をすれば、さしずめ「説話」というジャンルの代表作だと考えてよかろう。

ここに言い伝えられている絵のことを、現代の学者は、ずばり「スパイ絵(諜画)」と名づける。いうまでもなく絵の性格上、それの役目、そして作画した絵師の名前が明記されることはまず期待できない。そして、そのような絵が実際に伝わったとしても、おそらく間違いなく肖像画、山水画として分類され、膨大な作品群に埋没されてしまうことだろう。以上の逸話を紹介した一篇の中国語の論文(『故宫博物院院刊』2004年3期掲載)は、現存する絵の中から、内容的に描写が詳細で、しかも描き方としては時代の嗜好とかけ離れた要素をもつ作品を数点取り出して、スパイを目的とした作品だとしたが、自ずと推測の域を出ないということは致しかたがない。

思えば、ビジュアル的な記録の手段を著しく欠けていた古代において、絵画がもつ、文字や音声に並ぶ媒体としての可能性やパワーは、われわれの想像を超えたものがある。そう考えてみれば、政治的な宣伝、宗教的な礼拝など、絵画が果たしていた効用は、たしかに長いリストとなる。それらをすぐに思いつかなかったことは、あるいは、書斎に籠りがちなわれわれに想像力が著しく退化した、というだけのことかもしれない。

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