2009年6月6日土曜日

宋徽宗・写生珍禽図

一巻の中国絵巻をめぐるニュースが今週の新聞の一角を賑わせた。宋の皇帝徽宗(在位1100-1125)の手による「写生珍禽図」が北京で競売に掛けられ、新たな持ち主を得るようになった。かつては京都にある有隣館も一時期所蔵していたこの巻物が、七年前の競売ではベルギーのコレクターの手に移り、今度は匿名の中国人の所有となった。千年に近い歴史をもつ作品だけあって、ただの古書籍、絵画、あるいは美術品に止まらず、古代からの宝物という形で公の場で現われ、競争の末に新たな所有者の手に移る結果になった。

巻物のサイズは、縦27.5ミリ、全長521.5ミリである。もともと内容からすれば「絵巻」と呼ぶにはかなりの躊躇を感じる。十二段に別れて墨絵で描かれたのは、計20羽の鳥たちだけだった。鳥は、画眉(がびちょう)、喜鵲(かささぎ)、戴胜(やつがしら)、麻雀(すずめ)、雉鳩(きじばと)と、異なる種類が集まり、それが一羽かペアになって木や花の枝に止まり、最後の一段では、地面に飛び降りた二羽の子鳥が親鳥に向かっている。前後の画面の間には関連がなく、いわば鳥のカタログを巻物という記録の媒体に描き留めたという体裁になる。したがって一巻の巻物の内容全体を貫く場や時間、あるいはストーリが流れているわけではない。

一方では、一点の古代作品としては、これ以上望めないほどの由緒正しいものだ。まずはその作者はれっきとした皇帝であり、それもさまざまなドラマを残した悲劇の人物なのだ。中国の古典の常として、その所有が変われば、新たな所蔵者は作品自体に証拠を残し、その典型的なやり方として構図などかまわずにじかに印章を押すものだった。この巻物にも宋代の印章が計14個も残され、それもいずれも料紙のつなぎ目を選んで押したものだった。さらに清の乾隆皇帝となれば、これが非常に気に入ったと見て、作品にはじめて文字を書き入れた。それが画面の空白を選び、一段の先だったり、後ろだったりして、中の二つは横書きとさえなった。文字の内容は、一種の画題を付けたようなもので、第一段に「杏苑春声」と書いたように、詩情を狙おうとするものだった。

時を超えて伝わる一点しかない巻物は、その所有者となれば、おのずと特権的な者にかぎる。その特権というのは、昔は政治力、いまは財力といったところだろうか。したがって昔は巻物に押された印章、いまはさまざまな形で残される転売の値段がその記録となる。この二つの側面を感じさせるには、中国語と日本語によるマスメディアの報道ぶりがある。日本の報道には落札金額が七億七千万円という数字が踊り、対して中国語の記事はどれも国を失い、画作が却って伝わる不運の皇帝の生涯に触れる。読み比べてなんとも味わい深い。

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