『古今著聞集』には、絵師をまつわる数々の興味深い逸話が収録されている。その中で活躍した絵師の一人は、鳥羽僧正という名を持つ。語り種に残ったかれの伝説には、真正面から一つの政治活動に絵を生かしたエピソードがあった(第395話)。
まず、この鳥羽僧正の絵描きの腕前が一流だった。法勝寺金堂の扉絵を描いたとの実績をもつ。今日の事情に置き換えれば、さしずめどこかの都市シンボル建築に署名で壁画を創作したといったところだろうか。そこで、そのかれがつぎのような出来事に関わった。朝廷に貢ぐ供米が集められたところ、不意に辻風が吹き通った。その瞬間、なんと積み上げられた供米が俵ごとに舞い上がった。これを運び込んできた人々が慌てふためいて走り回り、これを押さえようと必死だった。これを目撃した鳥羽僧正はその様子をさっそく絵に納めた。評判の絵師の作品ゆえに、それがさっそく権力の中心者である白河法皇の御覧に持ち出された。しかしながら、その白河法皇が構図や人物の生き生きとしたことに共感したのみで、絵の意味することを読み解くことができなかった。鳥羽僧正本人に問いただしてようやく理解ができた。俵が舞い上がったということは、その中に米ではなくて、誤魔化しの糟糠しか入っていなかったからにほかならない。事情が分かった法皇はそれなりの対応を取り、それからは似たような不正が根絶されたと説話が結論した。
中世における絵の創作とその享受のありかたをめぐる一幕として、はなはだユニークなものだった。絵師の腕前よりも、なにを画く、なにを伝えるのかということがはっきりしていたものだった。しかも説話が伝えていることを信じるとすれば、鳥羽僧正の行動は、一つの政治批判として、単なる言論表現に留まらず、政策の実施、政治運営の結果にまでつながったのだから、大したものだと敬服せざるをえない。
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