世を賑わせるアップルの新製品「iPad」の発売がいよいよ近づき、商品予約の受付も去る週末に正式に始まった。好事者たちの強い期待が否応なしに高くなり、さまざまな予想、予測、予定が盛んに飛び交う。その中で、上質なブログの文章もあった。英語で書かれたもので、書物とiPadとの交差において日本の絵巻が大きくクローズアップされたのである。意外な思いをもって興味津々に読んだ。
思い切って新商品の肩を持つ立場で予測を試みるとすれば、この新しいタイプの機械は、かつて音楽や音声メディアに斬新な可能性をもたらしたiPodと同じように、人々の読書の経験、ひいては書籍生産のありかたに大きなインパクトを与えるのではないかと想像する。そうであることを期待したい。書籍で読む情報や知識には電子メディアの形で接したい、在来の出版などの枠組みに捕らわれることから新たなありかたを経験したいというのが、一読書人としての切な思いである。このような話題になると、すぐ書物の感触、匂い、気持ちの持ち方などの反論が戻ってくる。個人の感情を述べるものならば、それまでのことだが、新しい技術の変化を考えるためにこれを語るとなれば、不思議な気がしてならない。書物から電子メディアへの転換は、まさに大きな革命だ。たとえて言えば竹簡から巻物に、巻物から冊子本に転換するものであり、そのようなメディアとしての本質的な違いを認めなければ、大事なことを見落としてしまうことにほかならない。
ところで、技術の進歩や可能性を大いなる興奮をもって議論するのはよろしいことだが、だからといってiPadと絵巻とを繋げるのは、いささか的外れだったと言うべきだろう。いくら画面をクルーズアップして、それを滑らかに、綺麗に見られたからと言って、絵巻というメディアのあるべき鑑賞に対応できたとはほど遠い。新しいメディアの真骨頂は、あくまでもその特徴を生かした情報の提供、伝達にあることだろう。過去にあったメディアの再現は、どう考えても付加的なものであって本質に関わるものではない。
それにしても、絵巻とiPadとを交差させた文章は、なぜか大目に見てあげたくなるような、微笑ましい思いで読了した。
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