「平治物語」のハイライトには、藤原信頼の処刑がある。合戦の勝敗が決まり、捕まえられた信頼は六波羅に連れられ、重盛の助けも空しく、清盛の命により六条河原にて斬首される運びとなった。執行の役(切り手)には松浦の太郎重俊が指名された。だが、信頼はこの悲惨な末路を潔く受け止めることが出来ず、死に切れなかった。
この様子を描いた屏風が伝わっている。いまはニューヨーク・メトロポリタン美術館の所蔵になる「保元平治合戦図」で、同美術館のカタログは十七世紀のものだと記す。ことの経緯を伝えて、「平治物語」は、信頼の振る舞いを「おきぬふしぬなげき給(ふ)」と語り、対して重俊のことを「太刀のあてどもおぼえねば、をさへてかきくびにぞしてんげる」と述べる。思えば、俄かの合戦や首切りという極端な行動が当時の武士たちにはまったくなじまなかったことへの丁寧な表現だったろう。これを描いて、合戦図は力強い構図を見せてくれた。大勢の武士たちに見守られて、暴れる信頼の上を、重俊が全身をもってそれを押さえつけ、果敢に首を掻き取った。ただ、重俊が手にしたのは、物語が言う「太刀」ではなくて、動きやすい短刀になったのは、絵の描写に集中しすぎたほほえましい失敗だと見てよかろう。
古典の絵は、様式や伝統を重んじ、状況を写実的に描くことにはほど遠いとしばしば指摘される。ならばこの絵の場合は、まさにその反対側の、リアリティを追求した好例だと言えよう。しかしながら、黄金色に輝き、いたって装飾性の高い立派な屏風を前にして、このような血なまぐさい迫真な画面は、はたしてどのような鑑賞が期待されていたのだろうか。きわめて興味深い。
0 件のコメント:
コメントを投稿