教鞭を執られる友人の好意により、インターネット・ビデオを用いて、はるばる離れたトロントにある大学の学生たちを相手に、絵巻を語って聞かせる機会を与えられた。一方的なしゃべりは20分程度にし、あとは30分以上も質問に答えて議論を進める形を取った。久しぶりに日本語を使っての絵巻談義にささやかな高揚を覚えてオフィスに戻ったのは、時差のために、ちょうど普段の仕事が始まるころだった。
日本語学習者の学生たちは、絵巻についての予備知識がほとんど皆無だった。しかしながら、それでも矢継ぎ早に繰り出された質問のかずかずからは、日本の古典や絵に対する関心、それに直感的な理解が感じられて、心強い。質問の多くは、期せずして絵巻の成立に集中した。絵巻とはだれが、なんのために作ったのか、絵師と言われる人間グループの性別、社会的な地位、作画に所要する時間、受け取る報酬、などなど、本質ににかかわる質問がほぼ漏れることなく一通り聞かれてしまった。さらに絵巻という体裁の由来、作品の独創性、ひいては絵の構図やテーマについての関心の持ちようなど、かなりハイレベルな問いまで飛び交った。いうまでもなくそのすべてに満足に答えられるはずがなく、しかもときに英語の併用まで強いられて、答え方そのものがどこまで伝わったのか、はなはだ心もとない。
短い一席の話は、当面関心をもっている「首斬り」を手がかりにしたものだった。ただ、このテーマは、やはり若い学生たちには衝撃が強すぎたのだろうか、直接な質問は一つも上がらなかった。こればかりは反省しなくてはならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿