2012年2月12日日曜日

善峯寺へ

週末は努めて外を歩く。今度はちょっとだけ遠くへと、山の中にある「善峯寺」を目指した。往復約20キロ。あの「ストリートビュー」も遠くから引き揚げたらしいから、どんなところかと想像してはいたが、何の行事もない普通の週末でもけっこう観光客で賑わっていた。雪までちらつき、きれいなところだった。

120212お寺の紹介によると、平安時代にまで遡る古寺ながらも、応仁の乱で焼き野原に変わった。いまの建物はすべて江戸時代に入ってからのもの、とりわけあの篤信の桂昌院によるものだ。その家紋はいたるところに施され、桂昌院廟はもちろんのこと、桂昌院の銅像を据えた八角亭まで小高い坂に建ち、お寺にしてはかなり奇抜な造りだった。境内は広い。しかも辺りを眺望すれば、海や湖と思わせるぐらい、京都の市街が借景となって、すっぽり視野に入る。境内の見せ方は、余所のお寺とだいぶ違う。拝観の順路にある建物にすべて大きな番号を振りつけ、一々所要時間などを丁寧に提示する。いささか奇妙なのは、境内を閉める時間が繰り返し表示されたことだ。しかも寺に通る外の道路には、夕方以後になれば一般車進入・駐車禁止との看板が立つ。京都の西の外れにあるこの一角は、あくまでも特別な空間のようだ。

善峯寺を出るまえに通りすぎる休憩所の中で、ちょっと変わった風景が目に留まった。ある新聞の紙面は、かなりのサイズに拡大印刷して、壁に掲げられたのである。どうやら公共バスを巻き込んだ交通事故で、間一髪で惨事にならなくて、その理由は寺のお守りを持ったからだというものである。看板は新しく見えるが、よく見ればすでに15年以上の前の出来事だとか。紙面には関係者の写真や後日談などまで載ってある。寺社の縁起とは、まさにこのように生まれたものだと、なぜかナットクして山門を潜り、外へ出た。

写真8枚

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