2012年3月4日日曜日

帝を誅す物語

荊軻、始皇帝を刺す。あまりにもよく知られている中国故事の一つだ。始皇帝暗殺は、その直前まですべて成功したにもかかわらず、最後の瞬間、琴の演奏を今一度聞かせてくれとの始皇帝の願いが許されたところで計画が崩れたという、これまたあまりにも文学的なエピソードと共に、千年のミステリーに魅力的な想像の空間を与えた。

一方では、既成の伝説や伝統をすべて再構築する、これまでと異なる可能性を探ってみる、というのはどうやらいま中国での流行のスタイルの一つだ。この暗殺劇についてもまったく同じ展開が見られる。記憶に新しいのは、「ヒーロー」という映画だ。この上なく美しいカンフー映画、ストーリーの骨組みをあの「羅生門」からそのまま借用するなど、話題が尽きない。中では肝心の始皇帝を刺すとのハイライトとなれば、刺客自身が「殺すか殺さないか」との問いを始皇帝その人から投げかけられ、真面目に悩み、結局は殺さないことを自ら進んで選び、殺されてしまうという、妙な結末だった。そこに、今年に入ってさらに一つ違うバージョンが公衆の視野に入った。日本で言えば「紅白歌合戦」にあたる全国規模の大晦日テレビ番組の一こまに、この物語が再び登場した。コメディタッチだが、始皇帝をあっさりと殺してしまったと、いま流行の「タイムトラベル」のいい加減さを批判しようとしたものだった。

120304目を日本の古典に転じれば、始皇帝暗殺は、遠く『源氏物語』、『今昔物語集』、『平家物語』に収められ、はてまた絵巻や屏風の題材になった。その中の一つ、静岡県立美術館所蔵『帝鑑図・咸陽宮図屏風』をめぐり、小さな行事が十日ほど後に予定されている。

帝誅しと帝諌めの物語

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