来週週末に予定されているある研究集会に合せて、今週の読書テーマの一つにあの「融通念仏絵」が入った。これまでには何回となく通り過ぎたものだが、いまだ一度も立ち止ったことがなく、ほぼはじめてじっくりと披いた。
「融通」とは、いうまでもなく仏の教えの伝播にかかわる鎌倉仏教に相応しく宗教理念である。一人の念仏は全員の功徳に繋がり、みんなの信心は一人のためになるという、考えようによってははなはだ現代的な相互援助の精神が溢れる実践の形態は、おそらく遠く鎌倉の時においてはとてつもなく前衛的なもので、それが人々の心を明快に捉えたのだろう。そこに、記帳など形を持つ行動内容に伴い、歌のメロディーが生まれ、さらに踊りまで加わり、念仏そのものはおよそ真剣に自分に向き合うというものではなく、逆に外向けの、他人とともに分かち合うパフォーマンス、共同の気持ちを確かめ合う歌声に溶け込み、その中から歓喜を求めようとしたものだった。
鎌倉時代の念仏そのもののあり方は、今日になってしまえば、文字や絵のみが手がかりとなり、そこから想像で昔の様子を模索するのみだ。録画も録音も、そのような手段が成り立っていなかったころのことだからいたし方がない。それがはたしてどのようなものだったのか、そのような問いに対して、なぜか例えば東京の池袋界隈で繰り広げられた「ふくろ祭り」を連想してしまう。パソコンの中を探し回って、五年ほど前にカメラに納めたものを取り出した。同じ行事は今年も続くと聞く。もちろん宗教的な色合いなどはなく、「前夜祭」「宵御輿」など伝統的な祭りのテンプレートを援用するに止まった。中味はともかくとして、その中に身を置いたら、思わず飲み込まれてしまいそうな感覚は、まさに歌と踊りの魔力に由来するものだった。
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