2012年8月5日日曜日

座の甲と乙

おそらく絵ほど、読み解くために常識が必要とされるものがない。古く伝わる絵を目の前にすれば、当時の人々にとってきっと簡単なはずだったことも、今となればあやふやになって、なかなか答えが出てこない。いわゆる「甲乙の座」もその中の一つだ。

120806これは「後三年合戦絵詞」(上巻第五段)に収められるエピソードである。膠着状態の城攻めの中、兵士たちの士気を励まそうと、義家が一つの表彰の仕組みを案出した。すなわち勇敢な兵士には甲の座に、臆病な兵士には乙の座に座らせるというものである。そこで、絵の構図を見れば、座席が「コ」の字の形になっている。これには、はたしてどれが甲で、どれが乙か、さっぱり分からない。座席の順番は、先の第二段とかなり似ている。正面に向いている人が座っているところを甲に考えたいものだが、ストーリの着眼は乙座の人々であり、しかも詞書に記されている五人という人数にもどうも合致しない。もちろんこの様子を絵巻に取り入れたのは比叡山の絵師たちであり、座席の状況なども絵師たちの想像によるものが多かったはずだが、それにしてもその絵師たちが予想していた読者たちは、このような構図に向かっては、きっとなんの迷いも感じていなかったに違いない。

甲乙の座というエピソードは、義家をめぐる数少ない伝説の一つとして、絵巻にのみ存在して、ほかの同時代の文献との相互照合は出来ない。ここ数日、新学期の講義の準備をして、英語による短い日本文化史を読んでいるが、この件が触れられている。作者が絵巻まで目が届いたとはちょっと思えないが、絵巻を起点とする逸話がずいぶんと広く伝播されたものだと、いささか驚いた。

0 件のコメント: