2013年1月26日土曜日

書への視線

いつもながら日本では各地の博物館でさまざまな特別展が開催されているが、それらについてどんなに興味があっても、報道を読んだり、内容などを想像したりするに止めざるをえない。その中で、今週末から始まった東京博物館の特別展は、書聖王羲之を取り上げている。しかも約三週間前に正式発表をした王羲之尺牘(日本語なら「往来」か)「大報帖」の発見が大きく注目を集めた。40年ぶりの、国宝級美術品の発見で、さすがそのインパクトが大きい。

20130126関連の報道は、とりわけ二つの事実を強調している。一つは、新発見は模写であるが、こと王羲之の書となれば、世の中では模写しか存在していなくて、けっして軽く見過ごすべきものではない。もう一つは、これだけのものがいまになってようやく明らかになった理由の一つには、作品が隠されたわけではなく、むしろずっと大事にされ続けてきたのだが、ただそれが王羲之のものとしてではなく、小野道風との極札が付いていたからなのだ。考えてみれば、遠い昔の遣唐使たちが命をかけて持ち帰り、どの世代においてもきっと大切な宝物として目されてきた一点の書には、どのような経緯をもって違う人の作とされたのだろうか。その裏にどのような生々流転の運命やミステリーが隠されていたに違いない。

一方では、これだけの発見となれば、海の向こうも熱い眼差しを注いでいる。発見の発表から二週間も経たないうちに、中国では「書法報」においてこれを大きくとりあげ、しかもデジタル時代らしく電子画像だけを利用して、さっそくさらなる推理が展開されている。とりわけ40年前の発見である「妹至帖」を取り出し、両者を電子画像をもって並べて、それが同じ模写を切断されたものだと、書風や内容からだけではなく、紙の模様やその関連まで根拠に用いた。あるいは日本の専門家たちが意識していてもあえて語らなかったことを率直に言い当てたのではないかとも想像するが、デジタル環境下の電子画像の利用例としても、鮮やかでいて、記憶すべきものだ。

特別展「書聖王羲之」
《大报帖》与《妹至帖》的并案考察

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