2013年4月6日土曜日

衲と紙衣

「信貴山縁起」は、一つの心温まるエピソードを伝えている。出家した弟を捜し求めるために、姉の尼公が長野から奈良へと旅立った。夢の中で仏の手引きを受けて、めでたく命蓮上人となった弟との再会が叶った。そこで、二十余年もの歳月に積もった話を交わすのも待てずに、尼公が大事に持ってきたお土産を弟に差し出した。それは心をこめて縫い上げた「だい(衲)」であった。

詞書は、生き生きとした描写をもって命蓮上人の喜びを伝え、そして彼の視線をもってこのきわめて実用的なお土産を眺めた。それによれば、衲は並大抵のものではなく、「ふときいとなどして、あつあつとこまかにつよげにし」たものである。ここに一気に「厚々と」、「細かに」、「強げに」という三つの形容を連ねたことで、主人公の素直な喜びと驚きが文面に踊り出た。しかも文章はさっそくその用途に移る。いわば命蓮上人が身を纏ったのは、一着の「かみきぬ(紙衣)」のみだった。あまりにも寒い中、衲をその下に着込むことに20130406よって寒さを感じないで済み、しかもそのあとはずっと同じ着込みをもって修行を続けたものだった。一方では、ここまで豊かな感情を伴わせたような描写には、ビジュアルを本領とする絵だと言えども、十分に匹敵することが出来なかった。二人の対面と、お土産の授与が確かにスポットライトを当てられたが、そこからは衲や紙衣の様子を細かに観察することは難しく、文章から得た情報をもとに目を凝らして絵を見つめ、そこから想像するのみである。

短い詞書は、このお土産の一件にきちんと落ちをつけた。言わば、命蓮上人がこの衲を破れるまでにずっと着続け、しかもその破れた端まで倉に入れていた。その倉とは、あの空を飛んだ倉にほかなかった。そして、衲の端も、はたまたその倉の端も仏の縁を表わすものだった、と。仏への信仰を確かめるために、なんらかの物証を一心に求めることを、その遠い昔から信者たちがしっかりと実践していたことだった。

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