京都にいる時間を大切にと、蒸し暑い中でも外を歩いた。土曜の午後は祇園界隈。圧倒的に外国人観光客が多い。それも小さな子供連れの家族の姿が目立ち、顔だけでは分からなくても、仕草ならすぐ分かる。どの国の言語でもたいてい音程が日本語より高く、遠く離れていても聞こえてくる。そこで、そのような観光客に囲まれた人だかりの中心には、一羽の鶴が静かに立っていた。
街角での鶴の目撃は、言葉通りの初体験だった。たいへん興味を持ち、すぐカメラを向けた。うっすらと黄金色を帯び始めた夕日に照らされて、実に申し分ない。鶴は、おおらかにゆったりと構えていて、落ち着き払っている。大きな目を見開いてまわりを見ているのだが、多国語の会話にもシャッターの音にもまったく動じない。尻尾を道路側に向け、頭はあくまでも道端に向けて、店の中に慇懃な視線を送っている。しかもやっとなにかのアクションが起こったと思ったら、ぴったりと横の店に移って行ったのだった。一方では、店の主人たちの対応を見れば、鶴はかなりの「常連」らしく、なんら特別な反応は見られなかった。
思わず数多くの鶴にまつわる伝説が頭を過ぎった。ここまで生活に溶け込んだ鶴なら、報恩されるような言い伝えが取り沙汰されてもぜんぜん不思議ではないと、不思議なほどに納得した思いだった。
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